自分の感覚と、ほかの人の感覚〜穂村弘さんの短歌について
先日、穂村弘さんの短歌集を読んでいたところ、
心動くものがいくつもあり
「これは、読むととってもいい気持ちがするから
みんなにも教えてあげよう」と
プライベートのインスタグラムに投稿してみました。
そうすると、意外にも、全くいいねがつかないではありませんか。笑
(いつも反応してくれるお友達でさえ)
翌日、フォロワーのお友達に会う機会があったので
「そういえば、穂村弘の短歌読んだ?」と聞くと
「もえ、あれは全く意味がわからんかったで。???ってなった」と。
「ええ!なんでよ!あれはこういう状況で、こうなってて・・
あんな短い日本語であそこまで情景とか心情を表現するなんて
めちゃくちゃ素敵やん。」
「いや、あの日本語でそこまで想像できんし、意味不明や」
「そうやろうか・・・」
という会話がありました。
また別日に他の知り合いとも同じような会話が。
私は、自分の「これは素敵やな、なんかこう、ぐっとくるな」みたいな感覚を他の人にも感じてもらいたい、このホクホク感をおすそ分けしたい!という一心やったのですが、
こともあろうに、「理解不能」であったとは。
ぐぬう。(しゅんとした顔)
図書館では、私情はほどほどにして
「この本は、この図書館の利用者には刺さるだろうな」
「読みたいと思う人が多そう」
と思う本を選んでいて、
ありがたいことに自分の選書した本に予約がいくつもついたり
よく貸し出されたりして、入れてよかった!と思うことが多いのですが
一方、個人のブックセレクトとなると、
それなりに「ハダモエらしさ」みたいなものが大事になるのだろうと予想していて。
そう考えた時に、
ハダモエの感じる素敵と
他の人の感じる素敵に
隔たりがあるのかもしれない、
ということに
いささかの戸惑いと不安を覚えました。
「これなら手に取ってもらえる」という本と
「こういう良さ、楽しみ方も知ってほしい」という本の
バランスが大事なんだろうな・・
後者ばかりやと、ただのお節介やものね。
これも、やりもって、感覚を掴んでいこう。
うん、そうだそうだ。(自力で元気出す)
ちなみに、私がインスタで紹介した短歌は以下の2つです。
その場の情景、詠んだ人も、詠まれた人も、両方の心情が浮かんできて、
私はとっても好きなのですが。どうかしら。
今日も健やかに!!