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松永久秀の『麒麟がくる』で端折られていたところなど


 歴史雑記070
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はじめに

 コロナのせいで当初の予想を覆し、『麒麟がくる』でなんと年明けまで存命していた松永久秀。
 吉田鋼太郎の好演もあり、2020年にもっとも人気をあげた戦国武将の一人なのではなかろうか。
 ただ、当然主人公は明智光秀であり、久秀については端折られているところも非常に多くあった。
 そして、もちろんフィクションはフィクションなので、実際の久秀とはかなり異なる。
 今回は、大河では出てこなかった部分について少しまとめてみる次第である。

松永氏の出自

 松永久秀の史料上の初見は天文九年(1540)で、これは『多聞院日記』の記す年齢をもとに計算すると、33歳のときとなる。
 すでに三好長慶の家臣であり、年齢的にもそう遅いデビューとは言えないのだが、出自については長らくさまざまな説があった。
 そのなかで、現在もっとも有力とされているのが、摂津国五百住(よすみ、現在の高槻市)の土豪説である。

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