日本古代史のおさらい② 系譜/伝承はどの程度遡るのか?
歴史雑記153
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※ヘッダは明治時代に描かれた武内宿禰。
はじめに
前回の記事は少々詰め込みすぎたので、最初におさらい①のおさらいとして、論点を整理しておこう。
箇条書きにとどめるので、より細かな部分は前回の記事を読んでいただきたい。
文字史料を扱う歴史学においては、自国史としての日本史は3世紀に始まる。
この時期は考古学における古墳時代初期でもある。
4世紀は歴史学的に史料がほぼない(いわゆる空白の4世紀)が、葛城襲津彦の朝鮮半島での活動が認められる。
5世紀には倭の五王が現れ、ヤマト王権が歴史的にも考古的にもはっきりとした輪郭をもって立ち現れる。
倭の五王の最後のひとりである「武」は雄略天皇に当たることが、考古的に確認されている。
ただし、雄略系の王統は断絶し、傍系から継体天皇が即位する。前の王統とは女系で繋がる。
さて今回は、継体天皇以降の王統がどう展開したか……という話をしようかなと思ったが、蘇我氏本宗の全盛期については義務教育でも習うのでそこは端折る。
むしろ、それ以前の王統に関する伝承の整備や系譜などにつき述べる。
王統/王権に関する諸問題
学術用語である「ヤマト王権」と現代にまで続く天皇家が、実際に血統として男系で繋がっているかはいまのところ確認する方法がない。
いわゆる「万世一系」は一種の政治思想であり、歴史認識であるので、これを自然科学的に確かめることはそれほど意味があるとも思えない。
むしろ各時代における王統/王権の正統性に関する認識というものが歴史的に重要となる。
そのうえで、日本の王統/王権に関する問題のうち、大きなものとしては以下が挙げられるであろう。
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