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「実証」にもいろいろある──『歴史学者という病』を読んで

 歴史雑記118
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はじめに

 なにかと物議をかもしがちな本郷和人先生であるが、最近出た『歴史学者という病』はさまざまな意味で面白かった。
 あくまでも本郷先生視点ではあるものの、東京生まれ東京育ちの研究者視点で東大日本史という分野を垣間見ることができたこと、世代から考えるとネットも堪能で、ネットスラングの類が頻出する文体、数多いメディア出演の経験を活かした語り口の妙……そして何よりも個人的に面白かったのは、「実証」をめぐる思考であった。

 とはいえ、当該書で語られる実証というのは日本中世史、もっと限定的に言うならば「東大における日本中世史、特に中世前期」ということになろうから──これは半生記というコンセプトからして、一種の誠実さと考えるべきだろう──西の人間として、あるいは中国学の人間として、はたまた中世後期の研究者と接する機会の多い者として、思うところを備忘的に残しておくことにしたい。

そもそも「実証主義」とは?

 本郷先生の本に出てくる「実証主義」は、歴史学の手法をあらわす言葉である。
 そして、「皇国史観」および「マルクス主義史観」(史的唯物史観)がある種の対立概念的に用いられる。
 これは本郷先生も一般読者向けに敢えて単純化して書いている節があるのだが、この手の概念の整理というのは厳密にやるとものすごく複雑である。
 ただ、「皇国史観」→「マルクス主義史観」→「実証主義」という時系列は誤解を招きやすいので、まずは少し補足しておこう。

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