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自分を許せるようになりたい。
こんばんは。先日、私の推し、日向坂46のメンバーである影山優佳(以下:かげ)の卒業セレモニーが行われました。私が今感じていることを、綴ります。
「自分を許せるようになりたい」
かげが話したことは、そっくりそのまま私自身に言えることだと思った。
記事で、かげの卒業メッセージ全文を読み進めていくうち、私の目からは、大粒の涙が幾つも零れ落ちていた。
「かげは私と似ている」
…烏滸がましいかもしれないけれど、そう感じる部分が、私には以前から、幾つもあった。そして今日、卒業メッセージを記事で読んだ時、それは確信に変わった。
尊敬の念を込めて、かげのメッセージを、一部引用させていただく。
人は私を完璧だと言ってくれるけど、私は完璧じゃない。だからこそ完璧じゃないといけない、完璧でなければ私じゃないのだと、常に私という存在に後ろめたさを感じていました。
自分を許せるようになりたいです。
そしてかげは、今後のかげ自身についてこう語った。
どうなっていくか私自身もわからないです。(中略)あるいはちょっと充電するのかもしれないです。
どんなかげでも、私がかげのことを想う気持ちは、今もこれからも、ずっとずっと、変わらない。
***
「私は、今の自分を許せているのだろうか」
そんなことをふと感じる瞬間が、最近また増えるようになった。
身体と心を壊していることに気が付きながら、無視をして、無我夢中で走り続けた、昨年の私。当時は周囲の支えがあったから、なんとかゴールまで走り抜くことができた。
しかしその反動が、今になって押し寄せてきている。
そんなふうに、私には感じている。
「今の私には、充電が必要」
そう、私の心が言っている。
その反面、国家資格取得を目指して、今もなお、ひたむきに走り続ける大学の仲間を見ては、勝手に比較して(私は途中で諦めた弱い人間だし…)って勝手にネガティブになって。正直、今もそんなことの繰り返しで。
「他人は他人、私は私」って、考えられる程、今の私は強くないようだ。
でもいつまでも比較していたって、自分が苦しくなるだけだし、比べたってしょうがないじゃないか、とも思う。分かっているのだ本当は。比べたって意味がないことを。
お互い違う道を歩む。それでいいじゃないかって。人生って、そんなもんじゃないかって。もっと楽観的に考えればいいじゃないかって。分かってる。
それでも比較がやめられなくて、私は弱い人間だって嘆いているのは、私自身が休んでいる私のことを、許せていないからなんじゃないかなって。
そういう結論に、行き着いた。
「休んでいる私を、私は許せるようになりたい」
もちろん必要最低限のことはやる。
春学期の授業は、なんだかんだ言いながら、1回も休まず皆勤賞だったし、試験も先日無事終えた。
同じ要領で、秋学期の授業は受けるし、同時進行で少しずつではあるけれど、卒論も進める。
そして大学は必ず、4年で卒業する。
だけどそれ以外のことは。
”今の私にはできない”と、私の心が言っている。
いい加減、私が休むことを、私は許せるようになりたい。
私は今の私を、許せるようになりたい。
読んでくださってありがとうございます。