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いい息抜きになった

両親とともに、丸の内のイルミネーションを見に行った。大学4年生になって、少しずつだけど、両親の前で、完璧な自分を演じることが、なくなってきたような感じがする。

まだ冷静ぶるところは健在だけど、これも私の一部分だなって思えば、まあいいのかなって。今日、両親と一緒に乗る電車では寝られたし、目的地では、思いのままに写真を撮れるようにもなった。成長したなあって思う。

もともとイルミネーションを見に行きたいと言ったのは母親で、母親が父親を誘った。そしてそこに、変に冷静ぶっている私が便乗した形。

電車に乗って、東京駅に着いた私達。

そこは既に、別世界だった。歴史を感じさせる建造物の駅舎に、写真では表しきれないほどの、人の多さ。それらがあの雰囲気を醸し出していたのだと思う。

少し歩いて、イルミネーション通りに到着。それまで(イルミネーションなんて、所詮は豆電球の集合体)。そう思っていたはずなのに、あの景色を目の前にした時、私の口から零れた言葉は「綺麗...」の一言だった。人間って、私って単純だな。でもその単純さがいいんだよなって、思った。

感性に任せて、私は写真を沢山撮った。イルミネーションはもちろん、植木鉢に飾ってあったお花だったり、壁に描かれたアート作品、「丸の内ストリートギャラリー」と題した作品だったり…。私の心にある素敵センサーが作動したもの達を、パシャパシャした。

説明書きを撮るのを忘れた。でも何かを主張しているんだと思った。(芸術ってだいたいそうじゃないか?)
黄色いお花。後ろの照明がいい感じにピンボケしてくれてる。
何かの熟し切ってない柑橘類と、イルミ。都会にもこんなのがあるんだねえ。
無題だってさ。見る人によって捉え方が違うんだろうなあ。それでいいってことなんだろうなって思った。こういうの好きだわ。
フィンランドのティモ・ソリンの「日光浴をする女」と言う作品。独特なタッチがいいなあと思って撮った。あとタイトルが何とも秀逸で。
こちらも説明書きを撮るの忘れてました、ごめんなさい。何かの頭像だった気がする…。街中にこういうの飾ってあるって、いいよね。落書きとか壊される心配がないのかな、街の治安がいいのかなって思った。

今日、運賃も飲み物代も、全部親が出してくれた。その度に、自分の今の現状(働けていない)が、両親に対しての申し訳なさを感じさせた。けれども、それは何とかぐっと抑えて、「ありがとう」と言うようにした。

今日が勤労感謝の日ということもあってか、両親に対して、その想いが、普段よりも強かったのだと思う。両親に対しては、感謝の気持ちでいっぱいです。いつもありがとう。


そして帰宅してから、インスタに今日の模様を載せた。

そうしたらある友達からDMが届いて。そこには「自然な笑顔の写真がとっても素敵だね!」と書かれていた。心がぽかぽかして、すっごく嬉しい気持ちになった。その友達は、父親が撮ってくれた、私の全身が写った写真を指して、そう言ってくれたのだった。友達がそう思ってくれたことも、わざわざその気持ちを言葉にして、私に直接、届けてくれたことも。なんだかすっごく、嬉しかったのだ。


イルミネーションを見に行ったことは、いい息抜きになったと思う。最近、卒論の周囲からの期待に、勝手にプレッシャーを感じては、その重圧に押しつぶされそうになっていたけれど。

今日のあの景色を見たらなんだか、いい意味でどこか吹っ切れたようにも思う。主査や副査の先生が期待してくださっていることは、純粋に嬉しいし、私が欲しいその結果は、きっと。あと半歩努力した先で、確実に掴めるはずだ。

どうせ、泣いても笑っても、あと一か月で締め切りなのだから。だったらもう少しだけ、頑張ってみようかって。その頑張りを、続けてみようかって思えた。


読んでくださってありがとうございます。

また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!