大切な人たちからもらった、溢れるくらいの「やさしさ」
こんばんは。
ふと、今年の2月に行った海外研修のnoteを書こうかなと思い立ちました。前にも書いたっちゃ書いたんだけど、あれは感情の言語化というか、自分の中でのもやもやをただただ書き綴ったものだったので。
もっとこう、「海外行って世界が広がった!視野が広くなった!」みたいな話を書きたいなあ~と思い。いや本当に今更なんだよな。というのも、書いても需要ないかなあって思っていたから。景色を見て「綺麗に感じた」とか壮大な山々を見て「圧巻だった」とか書いても、だからなんだってなりそうで。
でもそれはそれでいいんじゃないか、というか。もっと言うならそれを書けるのがnoteの醍醐味なんじゃないかって思ったら、自分にとってこのテーマは書く価値に値するなあと思った。前置き長くなったけど、書く。
目的・期間・場所
目的は、大学の授業の一環。卒業必修(卒業するために必要)
期間は2023年2月7日~2月17日(9泊11日)
場所はニュージーランドとオーストラリア。
私は今回の海外研修が自分にとって初海外だった。
だからパスポートなんてものは持っていなくて、事前に申請しに行った。
「海外なんて…」と思っていた過去
今でこそ海外に行ったことで「世界が広くなった!視野が広がった!何ならまた海外行きたい!」って思っている私だけど。大学2年生くらいまでは、「海外なんて絶対に行くものか(死んでも行かない)」と思っていた。言語の通じない国に行って何が楽しいのって思っていた。どうせコミュニケーションできない私は行ったところで何の意味も価値も見いだせないと思っていた。書いていて思ったけど卑屈だな、私。笑
こんなに卑屈な考え方だったのはきっと当時の私の心の状態が悪かったからなんだろうなあって今は思う。私が置かれている環境と私自身の適応が、相互にうまくいかなかったんだろうなあって。だから、心が比較的よくなってきた大学3年生くらいには少しずつだけど「海外研修、楽しみ。行ってみたい」っていう気持ちになっていた気がする。
その気持ちとは相反するように、学科や大学では「コロナ禍、海外研修が行けるかどうか」っていう水面下の協議をずっとされていた。ぎりぎりまで行けるかどうかはっきりしなかったよね確か。でも「行ける」と決まって。そこからは、パスポート申請したり部屋割り決めたり荷造りしたり。だんだんと本当に「私はこれから海外に行くんだ」っていう実感が湧くようになった。
「楽しむ」がどういうことか、分からなかった
矛盾するようだけど、当時の私は「自分が何かを楽しむ」ことがずっとできずにいた。「楽しむことは調子に乗ること、よくないこと」で、楽しむってことは、「あいつは調子に乗っているって周囲から思われるんだろう」っていう思い込みがずっとあって、私が楽しいと感じていても、それを表現することができなかった。例えば「楽しいとか嬉しいの感情」があってもそれが笑顔じゃなくて真顔になっていたり。逆につらいとき、苦しい時には顔がいつも、笑っていたり。いつもいつも、表情と感情が一致していなかった。これは言わば、私が昔から持っている癖のようなもの。今もまだ、それが後遺症のように残っているなってふと思う。
初めて心から「楽しむ」ことができた日々
でも、私自身が何かを楽しむことが、調子に乗ることではないって、海外研修に行って初めて分かった。
私が研修中に「楽しい」って思った時に笑ったり、友だちと楽しいねって会話して笑いあったり。そういうことをしても、一緒に行った周囲の学生は「あいつは調子に乗っている」なんて言わなかった。侮蔑の目も一切向けられなかった。何なら一緒になって「楽しいね!」って、笑顔でその時間を過ごしてくれた。私にはそれが衝撃的だった。
と同時に、楽しいって思った時には、「楽しい」って言っていいんだ、とか「自分の気持ちに正直になって笑ったり、笑顔になってもいいんだ」って思えた。こんなことは初めてだったから、戸惑った。でも、少しずつそういう素の気持ちとか表情を出せるようになっていった気がする。
この研修中、たくさん写真を撮った。それは景色もそうだし、人も。友だちとたくさん写真を撮ったり、撮ってもらったりした。それがすごく、嬉しかった。嬉しすぎて撮ってもらった自分が写った写真を、インスタに載せた。
同じコースの人とはたくさん撮れたんだけど、違うコースの人とはあまり撮れなかったことを、少し悔やんでいて。あの時勇気を出していればよかったかななんて思ったり。でも過ぎたことなので、これから、機会を見つけて自分から話しかけに行こうと思う。
何よりも景色が素敵すぎた。一面に広がる山々や、まるで鏡のように反射する湖(ミラーレイクなんていう異名が付けられているくらい)。街並みもすごく素敵。「これぞ海外!」っていう感じだった。(語彙力)
それはそれは圧巻だった。船で湖を一周した時には、初めて野生のイルカさんを見かけたこともあった。それはレアだったらしく、「あなたたちは運がいいね!」って現地の人に言われた笑
そして何より、大好きで大切な人たちと、普段よりもずっと長く時間を共有できたことが、自分の中でのいちばんの幸せだったな。綺麗なものを見て「綺麗だね」って言い合ったり、「わあ~…!」と感激したり。時には笑いあったりした。海外研修がきっかけで、よく話すようになった人もいて。自分にとって大切な人が、また一人増えたことも大きい。
大切な人たちからもらった、溢れるくらいの「やさしさ」
これはここに書くべきか否かって迷ったけど、いいや。書いてしまえ。実はこの海外研修で私は何度か情緒不安定になった。
一つは、大切な人やクラスメイトにあることがあって、それに対して周囲の人が放った言葉が、私の感情を高ぶらせる引き金になった。
結果、私は涙が止まらなくなってしまった。
そんな時に側にいてくれたのもまた、大切な人だった。バスの席で私が座って泣いていた時、それに気が付いて「どうしたの」って声をかけてくれて。私は何も言えずに、泣き続けてしまったのだけれど…。そうしたらその人は、タオルを何も言わずに手渡してくれて。ティッシュ使う?って聞いてくれて。やさしさに溢れていた。その後で少し落ち着きを取り戻した私は、その人に感謝の気持ちと、今自分が思っていることを全部話した。そうしたらその人は、そっかそっかと聞いてくれて。ただただ聴いてくれた。私はそれがうれしかった。
もうひとつは、日本と家族が恋しくなってしまって軽いホームシック?のようなものになってしまった時。泣いている私を見て、何も言わずにティッシュを渡してくれた人がいたこと。部屋の中でホームシックになった時には、たまたまその時に同室の人がその人の家族と電話していたのにわざわざそれを切って、「どうした~」って私の隣に来て、話を聴いてくれた人がいたこと。
あの時のあの人やこの人のやさしさを、私は忘れない。
それは私にとって一生の記憶。大学生になってから、いろいろなことをすぐ忘れるようになった物覚えの悪い(記憶力が乏しいとも言う?)私だけど、その時の出来事は、今も鮮明に覚えている。それくらい私にとって大切なもの。大切な人たちとの、大切な記憶だ。
引率してくださった先生の言葉
そして、引率してくださった先生にもお世話になった。もともと養護教諭として現場で従事なさっていたその先生。上に書いた一つ目の情緒不安定は、結構自分の中でも引きずっていて、そのことがきっかけで、研修最終日の前日の夜に、私の心が爆発してしまったのだ。先生に対して思いの丈を全部話したら、そっかそっかと聴いてくださったあとっで、このようなことを仰った。
「○○さんはそういう特性を持っていることで、他の人がその時に持っている困り感とか、どうして欲しいのかとかを察することができて。だからしんどくなってしまうこともあると思うけれど、それは○○さんのやさしさゆえに起こることだから、○○さんにとっては強みだと思いますよ。だから自分を責めないでね」
この言葉が私の心を落ち着かせてくれた。私にとっては魔法の言葉だった。
加えて、ニュージーランドの原住民族はマオリ族というのだが、その人たちのショーを見る機会があった。私はそのショーの「大きな音や声」に強く影響を受けた結果、怖いと感じてしまい、またそこから涙が止まらなくなって、過呼吸のようになってしまった。そんな私はまたその先生に助けを求めに行った。そうしたら、別室にいようかってやさしく提案してくださって。そのあと私に、「誰にでも苦手なことのひとつやふたつあるよ。だから気にしなくて大丈夫だよ」っていう言葉をかけてくださった。その言葉のあたたかさに、私はまた泣いた。
人によっては、「大きな音や声が怖くて泣く」って子どもかって思う人もいると思う。ただ本当に私にとっては、それが怖くて泣いてしまう。でもこんなに泣いたり、周りの大人に助けを求めたのは初めてだったかもな。今まではそう感じていても耐えていたから。
でも、苦手なものは苦手だって言っていい、それは我儘とは違うんだって、気が付くことができた。
だから私はもう少し、自分の気持ちに素直になってもいいのかもしれないなって思った。
最後に
この研修中、私はいろいろなことを感じ、考え、時には爆発してしまって、大切な人や周りの人に心配をかけたこともあった。
それでも、離れないで、ずっと側にいてくれた大切な人たち。私はその人たちに「あの時はありがとう」っていう気持ちをずっと持ち続けている。
私のことを大切にしてくれている人に対して、私もその人たちのことを大切にしようって、より強く感じた。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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