信じるって、受け止めること
自分や他人を信じるって、そのままの私・あなたを受け止めること、だと私は思う。と言うのも、これまでの私は、私自身がそのままの私を受け止められなかったし、受け止めてもらえていることを、実感できていなかったんだと思う。
例えば学校と言う社会の中で、私は自己犠牲を厭わず、常に他人の為に行動する真面目ちゃんでいた。かと思えば、家族の前では、毎日抜けのない、しっかりした私を演じてた。私は、第一子の長女、と言うこともあってか、しっかりしていなくちゃいけないと、心のどこかで思っていたのだと思う。気が休まる場所なんて、ないに等しかった。
本当の私を知っている人は誰もいない、私を分かってくれる人は誰もいない。そんなふうに思っていたから、人間不信が止まらなかった。だからと言って、自分自身のことさえも信じられなかった。特に容姿に自信がなくて、人と目を合わせて話をすることが、長らく怖かった。そしてどこかで強がっていた。
私より苦しい思いをしている人なんてゴマンといるのだから、私なんかが苦しいなんて思っちゃだめ。そんなふうに本音を殺して過ごす日々は、とても苦しかった。
本当の私は、すごく弱いのに。でもその弱さを、誰かに話すことも、表出することも。当時はできなかった。それをすることを自分自身が許せなかったのだと思う。
でも不思議なことに、今の私は、過去よりも他人に対して心を開けるようになったし、周囲に対しても、人は選ぶけど自分の弱さを曝け出すことができている。
そして何より、相手がそれを受け止めてくれた。それまで完璧に見えた私が曝け出した、弱くて脆い部分を見ても。それまでと何も変わらない態度で接してくれる人が、今の私の周りの人達には多い。
2020年4月、聖徳大学 社会福祉学科に入学してから、私と言う人間は、いい意味で大きく変わったと、つくづく思う。一部を除けば、私の周りは本当に、人間性が素敵な人達で溢れているし、時に高みを目指して、切磋琢磨し合える関係性。
それまで出せなかった自分の弱さも、なぜだかその人達の前では、躊躇せずに出せた。それは初めてのことで、自分でも戸惑った。
でもきっと、それはその人達だったから。その人達だったから、私も迷いなく弱さを出せたんだと思う。その人達になら、弱さを曝け出しても大丈夫、必ず受け止めてくれる、と思わせてくれる何かが、確実にあったんだと思う。
実際、何回も何回も助けられた。その人達の言動はいつも、当時の傷付いて凝り固まった私の心を、じんわりと癒してくれた。その人達のおかげで、私は他人を信じることを諦めずに済んだ、と言っても、過言では無い。
だから本当に、本当に。私はその人達に、心から、ありがとう、と伝えたい。
大晦日まで刻一刻と近付いている今、急に感情の波が押し寄せてきて。いつもお世話になっている、周りの人達への感謝をドバーッと書き殴らせていただきました。お見苦しかったらすみません。
改めて、いつもありがとうございます。