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私の傷を丸裸にする-成人の日に寄せて過去を振り返ってみる

今日は成人の日。それから3年前、私が私のために行った成人式の日と言うことで、過去を振り返る形で、私の抱える傷について綴ってみようかと思います。

正直、需要あるかは分かりませんが…笑。

それでも、私と言う人間について知りたいと思ってる人に読んで貰えたら嬉しい。珍しく長文です、4000字超。

これまで以上に、丸裸な文章になると思います。


明日は成人の日らしいです。
え。もうあの成人式から1年経つのか。早すぎ。
そうそう私は早生まれだったから、19歳で成人式迎えたんだっけなあ~今思い出したぞ…至極どうでもいい話ですが。
成人式には、私は振袖着ないでスーツ着ていきましたよ。
周りは振袖一色でしたけどね。
他の人と違うことをしたかったっていうのもあるし。
まあ関係なかったです。私は私なので。
ある種、周りに見せつけに行ったようなものでした。あれは。
「私はもうあの頃の私じゃないぞ。ちゃんと自己主張できるようになったんだぞ」って決意表明みたいな。
「あの時は真っ黒だったけど、今は人生楽しんでるぞ。人生楽しんでてごめん」的なやつ。(可愛くてごめんから歌詞借りました)
まあ口にしたわけではないし、完全に自分の心の中だけで完結した事実だったけども。
結局は自分が自分のために行った。自分が、過去と折り合いをつけるために行くという選択をして、行った。やり遂げた。行く前はあの頃のことを思い出しちゃって気がどうにかなりそうだったけど、何とか耐えて行ったのも、今となっては思い出です。もう大人だもん。自分の行動には責任が伴うからね。
振袖着ている多数派を否定する気はさらさらない。着たいなら着れば。そう思う。私は着たくなかった。あの派手な衣装に魅力をまったく感じなかった。そのお金で別のことがしたいと思った。そこにお金をかける意味を見いだせなかった。
だから、自分が着たいなら着ればいいし、自分が行きたいと思えば行けばいいと思う。もちろん、私みたいに着ないとか、行かないという選択肢だってある。
最後は自分で決めればいいのだと思う。

noteの下書きに眠っていた、2023年の私の文章

上記は二年前のちょうど今日、珍しく飲酒をした勢いで書いたらしいnoteの下書きから拾ってきた。

結論から言えば、私の中学時代は「生き地獄で闇で病んでいて人間不信」だった。なんかすごい、黒い言葉ばっかりだわ笑える。

自分を壊されたのも自分が壊れた事を自覚したのも、中学生の時だった。

今思えば周りにまともな人間はいたし、頼っていいと思える人もいた。

でもあの時の私は視野が狭くて他者不信が大きくて、頼れなかったし何よりも「助けて」を言えなかった。

だから私の側に非があるのは紛れもなくて、だけどそれ以上に私の優しさをいいように利用され、搾取されたのも事実だった。

中学生時代、感受性が豊かで他の人よりも相手の気持ちを推し量ることに長けていた私。

その分、他人の傲慢さや身勝手な言動に、今思えば不必要に心をすり減らされていたんだと思う。

関わる毎に、教師や同級生からは信頼された。私だからって理由で引き受ける仕事も多かった。

そうして信頼されればされるほど、小学生の頃のいじめで受けた抉られた傷が、何度も顔を覗かせた。

ちょっと逸れるが小学生の頃の話をする。

私は小学3年生の一年間、同級生の一人からいじめを受けた。

まず貸したものが返ってこない(窃盗)は日常茶飯。

嫌なあだ名で呼ばれた。性格が鈍かった私を「牛」と例えたらしく当時の流行り病(ノロウイルス)を組み合わせて「ノロウシルス」と呼ばれた(名誉棄損)。

体育の授業で使う一人用の縄跳びを何度も壊され、テストを白紙で出せと脅されたり、理科の実験に参加するなと言われたり(恐喝)した。

私はいじめなんて生易しい言葉で表現してやんねえぞ(圧)ってことで、敢えて漢字表記にしてみたよね笑。

冬休みの宿題の一環で自信満々につくった俳句を教室で嘲笑された。「(嫌なあだ名)って頭の中お花畑なの?笑」と笑顔で言われた。

当時は気が付かなかったけれど、私はかなり打撃を受けたみたいだった。

「自分がつくったものだとか頑張った事に対して自信を持つと馬鹿にされるんだ、だから自信なんて持っちゃいけない」と思い込んだ。

もちろん今はそんな事、微塵も思っていない。

最大のトラウマは「自殺ごっこ」と称して飛び降りを強要されたことだった。

ある日、半強制的に拉致られた同級生が住むアパートから帰る際、持ってた荷物を全て奪われた。

そうして十段以上ある階段を指さして「ここから飛び降りて、じゃないと荷物は返さないから」、次いで「これは美咲の自殺の練習だから」と笑顔で言い放ってきやがった。

流石に頭の中が真っ白になった。

今思う、こいつは私以上にサイコパスだと。

もはやいじめ抜かれた所為で、そっとやちょっとの事じゃ傷つかない感じだったんだけれど、これだけはその比じゃないレベルだった。

私は結果として飛ばなかったけれど、あの日、私は明確に「このまま飛んだら楽になれるかな」と思ったのを今でも覚えている。

そしてあの日から「私が死んで悲しんでくれる人っているのか、自分の葬式には何人の人が来てくれるんだろう」とふとした時に思うようになった。

自己否定や無価値感に苛まれるようになった。これは悲しいかな、今も。

そうして恐らくいじめの所為で、中学生になっても

「人を信じたってどうせ最後は裏切られる」とムクムクした黒い気持ちが醸成されて、周りを拒絶し続け、自分の辛さをおくびにも出さずに、同級生や担任のサポートに徹し続けた3年間を過ごした。

私が施した優しさが全て自己犠牲だったと知ったのは、中学を卒業して何年も経ってからだった。

言ってしまえば、いじめられてもない、ただよくある「多感な思春期」の中学生の人間関係の荒波にもまれた。

それだけの話。

こんなものを「傷」だなんてまあよく言えたものだな、と思われるかもしれない。

それでも、私にとっては傷なのだ。

そして厄介なことに、小学生の時のいじめによる心の傷が癒えていなかったから、ダブルパンチで襲われた。

ウケる。笑い飛ばしてしまいたい。

小学生の頃のいじめにせよ中学時代にせよ、私の過去はいつもいつも、黒く染まっている。染まりすぎて最早、笑えてくる。

そしてその黒さと向き合ったのが成人式だった。

それは、地元や同級生と決別するために。私は変わったのだと、見せつけるために。周りから見た私がどんなだったかなんて、知らない。

でも誰かから見た時、「信じるに値する」ような人間だったんだろうなとは思う。

ごめん、当時の私が全部突っぱねたけど。

スクールカーストがあるなら、私はもはや3軍以下だった。と言うかスクールカーストにすらいなかったはぐれ者だった。

陰も陰のくせに謎に教師からは信用され、同級生からは信頼された。自他ともに認める「真面目で不器用な努力家」で、その甲斐あってか部活で部長も務めた。

でもどうしてか、どうしようもなく私にとって教室は、息苦しい場所だった。

教室の中心、身勝手で傲慢なやつらが生きやすそうに楽しそうに青春謳歌してるのを多分、嫉妬してた事を認めよう。ああ恥ずかしい。

「私が学校にこなかったら不登校になる」と言い張った同級生がいて、「その同級生のために私に学校に来て欲しい」と頼んできた担任がいて。

行かない選択がなくて逃げたくなかった当時の私は、行き続けて精神が死んでいった。

掃除も給食当番も班活動を平気でサボるやつが多数派だった時、私はただ一人黙々と作業していた。

そしてそれを見かねた他の班の子が手伝いに来てくれたこともあった。信用を買っていたからこそ手伝ってくれたんだと思う。

だけど私は手を出し過ぎて「どうせ自分が動かなくても最後は美咲がやってくれる」と周囲に思わせてしまった。

ある時、私しか動いていないその瞬間を見た担任が、クラス全体に怒鳴った。それでも誰も動かなくて(狂気の沙汰)、結局私ただ一人が作業をした。

「私なんか」のために担任を怒らせたことが、無駄な体力気力を消費させた事が申し訳ないと、本気で思った。

通学途中、動悸と息苦しさと戦いながら通学した。

全て、私が周りにSOSを出してさえいれば巻き込まれなかったと思う。

明らかに自分に非があるからこそ、精神疾患として後々出てきた。そう思う。

自分のつらさを無視した挙句、「助けて」と言われてもいないのに勝手に周囲を見渡して誰かを助け続けた私が悪い。

優しさと言う名の自己犠牲。

まあーーー悲しいけれどこれが事実で、ただそれだけの事だった。その事に、自分と向き合う事に、逃げて逃げて逃げて、成人式まで逃げ続けた。

そんな成人式、行かなくてもよかったとは思うものの、行ったことを後悔しているわけでもなくて。

今となっては「ああ行ったわそういえば笑」って感じ。

黙って参加して黙って、肩書き偉い大人達の話聞いてるふりして(おい笑)、同級生の誰とも口を利かず帰宅した。コロナ禍だったこともあって余計にね笑。

私は成人式に行った。

三年経った今となっては、ただその事実が残っただけ。でも私にとってはそれが全てだった。だってそうなるために行ったのだから。

最後に

だらだらと書き連ねてきましたが、ここまで読んでくれた人がもしいるならば、ありがたい限りです。

度々「笑える」と書きましたが、私が過去を笑えると思うのは、私がそれだけ泣いてきたし、傷ついたし、一周回って笑い話にしないとやってられねえよ!と思うからです。

小学生の事なんて、10年以上も前の事です。時効と言われてもおかしくない。

なのにどうしようもないくらいハッキリと覚えています。

そして、私は過去に、私をいじめたやつを一度は許した。許さないと、そんな私を許せなかったから。

だけどやっぱり、本当の意味ではまだ許せてないんだと思う。

優しさを搾取した中学の同級生達、と言うのか、あの教室と言う空間?空気感?を私は今でも恨んでいるし、目に見えないけれど私はその目に見えないものに心をズッタズタに引き裂かれました。

ちなみに学校のドラマとかで教室出てくるじゃないですか、例えドラマであっても、教室というものを目にするのが未だに苦手です。

あの40人が詰め込まれた空間は監獄です。生き地獄です。

さて、結びが分からなくなってきました。笑

私の地獄を経て思うのは、今あなたが死んでないって強いって事です。あなたからしたら私の傷は、傷とも言えない軽傷のかすり傷かもしれない。

それならそれでいいです。あなたの過去に何があったとしても、今そこでこれを読んでいるあなたは、ただそれだけで強いって事を私は伝えたいです。

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