溢れる2つの想い
父親の勤労周年記念日である今日。記念に立食パーティーが都内の某式場で執り行われ、両親揃って、おめかしして出掛けている。
昨夜、日付が変わってすぐに、私は父親にLINEを送った。勤続おめでとうと、これまでお疲れ様、それからここまで育ててくれたことへの感謝の意を込めて。
朝になって父親から返信が届いた。「ありがとう」「嬉しいよ」の言葉とともに、
このようなことが書かれていて。
この言葉達を目にした時、私の心はじんわりと、温かいもので溢れて、いっぱいになった。嬉しいとは、また違う。何だろうこの感覚。頼もしさ、とでも言えばいいのだろうか。加えて、私と言う存在を信じてくれていることに対する、喜び?
この感情はきっと、私の心から湧き出ている本心。偽りではないと、はっきりと分かるから。
それなのに。「誰かを守りたい」と言う感覚が、残念ながら今の私には、到底理解が及ばない。未経験なのだから、至極当然だとは思うが。まずもって、今の私には守りたい人がいないし、自分ですら、自分のことを「守りたい」とは思っていないのだから。人はこれを、冷たいと言うのかなあ。
今の私には、守るとか愛するとか、そういう感覚が欠如しているような、そんな気がしてならない。まあ、そういう自覚があるだけ、まだマシなのかもしれないけれど。
そしてまた、私自身が誰かに「守られるべき存在」であるとも、思えずにいる。これに関しては、相手が「守りたい」と思ってくれているのに、私がそう思うのは失礼極まりないなあと、理屈では分かっているのだけれども。
このような感覚を抱いていることこそが、私自身の自己否定の強さや、自尊心が低いことの表れなんだと思う。言葉にすると、それがより明瞭になるなあ。
まあそんなことを思うのは、傲慢で尊大なのかもしれないけれどね。でも今の私には、そんなふうにしか思えないんだよなあ。
読んでくださってありがとうございます。
P.S.
To. 父
ごめんね。こんなこと思っちゃう娘で。きっと悲しませてしまうと分かっているから、実際に口にはしないと決めている。それでもここには、思いの丈を書かせて欲しい。