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10年前、「早く死ねばいいのに」なんて思ってごめん。

昨夜、夢の中で、亡くなった祖母が私に語りかけてきた。

「美咲、最近(墓参りに)来てくれないね、どうしたの?」

と。


今日、母方の祖父母の墓参りへ、数年ぶりに行ってきた。

祖母が亡くなってから来月で十年が経とうとしていていて、来月初旬が命日にあたる。

今までに祖母が夢に出てきたのは、祖母が亡くなった直後だけだったから、すごくびっくりした。

特に、昨夜は私の「死にたい」気持ちが強くて、夜までぐるぐる思考の頭が疲れて、考えることを強制的に切らないと、と思って目を閉じた。

そうしたら、気付けば夢の中、

「美咲、最近(墓参りに)来てくれないね、どうしたの?」

そう、明確に祖母が私に語りかけてきて。目が覚めた時、ハッとして、親に話したら、「命日も近いし今日みんなで行こうか」ってことになって急遽、連れて行ってもらった。

祖父母が眠っている墓は、私が住んでいる隣の区、車で30分くらいの、墓地の一角。


ここ数年、私は祖父母の墓から足が遠のくようになった。それはなぜか、と考えると、ひとつ、私の中で明確に出てくるものがある。

祖母に対する罪悪感からだろうか、

と言うこと。私は、祖母が亡くなってから今まで、悲しむことが、出来ずにいた。

祖母が亡くなった時、私は中学一年生だった。

中一の冬、私は精神状態が悪かった、と記憶している。学校での人間関係のいざこざに巻き込まれて疲弊しまくっていたことが、原因のひとつだったんじゃないかなと思う。

当時の私は喜怒哀楽が思うように出てこなくて、気持ちを抑圧していた。

祖母が亡くなったのは、その年だった。

あの日の未明、ご臨終に立ち会った時、私の目からは、涙一つ、流れ出なかった。でも周りに合わせて、悲しそうな表情を向けることはした。TPOはわきまえた。

「最期に手を握ってあげて」と母親に言われて渋々握った時、死人の手はこんなに冷たいんだ、と知った。

私は今までずっと、冷酷だった。

祖母は悪くない。祖母は、狂っているのが主な私の親族のうち、数少ない「まともな人」だと、私が思える人だった。

幼少期には複数回、祖母・父・母・私(弟はまだ生まれていない頃)で某テーマパークに遊びに出掛けたことも、朧気だが覚えている。

ねずみが、常に笑っているあそこで。

でも、祖母は病気になった。死因は肺結核。徐々に病態が悪化して、そのうち都心部の大学病院に入院することになって。中一の時、毎週末、車に乗せられてお見舞いに行った。

当時の私は、精神的に疲れていた。だから、と言ってはなんだが、週末が唯一の休息時間だった。

なのにその週末さえもお見舞いで消えることが、当時の私にとっては辛かった。でも、行かないと言う選択は無かった。行くしかなかった。

当時、嫌悪も辛さも滲ませることを一切せずに行った私は、頑張った。

そう、思いたい。
例え、歪んでいたとしても。

だから、

(早く死ねばいいのに)

いつしか、私は祖母に対して、口にはせずとも、そんな風に思うようになった。心の底から祖母を見舞うことが出来ないまま、祖母は最後、地元の小さな病院で、息を引き取った。

それに対して鬱屈とした思いを抱えて、ここまで来た私。

でも、今日の墓参りを通じて、祖母に謝ることが出来た、と思う。そんな風に思うなんて、と言われてしまうかもしれない。

それでもいいから、今の私はちゃんと、祖母を想うことが出来ている、と思う。


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