歪んだ愛が、人の心を狂わす
1ヶ月程見るかどうか迷っていた、映画マッチング。
今日、遂に観てきた。昨日チケットを予約し、今日の午前の回で見るべく、一人で映画館へ。
予告映像やキャストインタビュー動画等から、内容的に怖さがあることは、事前に知り得ていた。それを踏まえて、見ようかどうか迷っていた。
ただ、意思を固めて、見てよかった。推しグループのメンバーである、さっくん(Snow Man佐久間大介くん)、太鳳ちゃん(土屋太鳳さん)始め、演者さん達の演技力に、終始脱帽していた。
ネタバレは交えてしまうけれども、以下に、印象に残った場面とその時に感じたことを、纏めて書き綴っておこうと思う。
以下、ネタバレ注意。
始めに、開始数分で、惨殺死体が出てくる場面に遭遇することになる。一度じゃなくて話が進むにつれ、幾度も。その為、苦手な人は、自衛した方がいいのかもしれない。私自身は、見たことに後悔は一切していない。寧ろ、人間関係の構築における、勉強になったと思っている。
愛とは慈悲であり苦しさ、時に、憎悪と怨恨を抱くものなのかもしれないと思った。歪んだ愛は、人の心を時に狂わすんだと思った。
りんか、とむや影山が、人を好きになることや愛することが苦しい、不器用故に人間関係が拗れる、と感じているところは、私自身、正直どこか、共感を覚えずにはいられなかった。
とむと影山は、互いに殺人犯であることは、揺るがない事実だ。ただ、自分の母親(節子)が愛人(りんかの父親)に捨てられた反動で病み狂った挙句、それを間近で見せられ続けたら、ちゃんとした愛の形成方法を知ることが出来ずに彼らが狂うのも、致し方ないことなのかもしれないと思った。100%彼らが悪いとは、私は思わない。だからと言って、何の関係もない他者を殺人していい理由にはならない。理性は保っていて欲しかったと思う。
影山は確実にりんかのことを恨んでいたんだなと思った。
とむはまだりんかに見せていない顔があることを、最後の最後のシーンで表現していた。まだ自分には誰にも見せていない顔があること(=殺人犯であること)を仄めかしていた。
りんかの父親は、節子と不倫したことを後悔していた。自分の妻が不倫相手(節子)と25年もの間、衣食住を共にし、かつ足枷を括られていることを知った時、どんな気持ちになったんだろう。節子曰く、廃人同然の妻を見て、死にたくなったのでは?と。自殺なのかな。深くは言及されていないように思う。読み手の想像に任せるといったところだろうか。
妻(りんかの母親)が廃人になったのは、節子が自身の苦しみを押しつけて、彼女の精神を狂わせたから。しかし節子との関係を断ち切ろうとしていた(=捨てられた)のは、まだ彼の理性が保たれていた証拠だったのかなあと。
りんかの母親は、りんかの父親が節子と不倫していることを知り、絶望し、家を出た。ただ節子に捕まり、結果的に"節子がりんかの父親に捨てられた"と言う事実、自分の苦しさを押し付けられて、精神が破綻し、廃人同然になってしまった?
りんかは、父(節子の手による?or自殺)、同僚、高校の時の恩師(影山の手による)を失った。それと時間はかかると思うけれど、りんかの母親の精神状態が、今よりも穏やかになるといいなあ。
りんかは始め、とむを完全に黒だと決めつけ、疑った。でもりんか自身が、影山に憎まれて殺されそうになったところを、とむが機転を利かせて助けたところから、とむに好意を寄せつつあるみたい。だけど結局、とむは殺人犯の顔を持っていて。りんかには殺人犯の顔を見せていない(確実な証拠がない)。
人を好きになった時、離れていくのがりんか。近付きすぎてしまうのがとむ。ただ、双方ともに、人間関係の構築が苦手で拗れる、と言う共通点があるように思う。そこが2人を、とむ曰く"運命"で結び付けられているものなのかな、と。
最後に、映画の世界観とマッチし過ぎな主題歌、Aimerさんの"800"。このタイトルの意味を、自分なりに考えてみたんだけど、エンドレス、無限(∞)ってことなのかなあと。「8」を横にすると∞になるし、「00」もくっつければ∞になるし。左から読んでも右から読んでも∞、つまりこの事件は"繰り返される"ってことなのかなあって。
読んでくださってありがとうございます。
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