特別支援学級から交流学級へ行くときの気持ち
私は中学生の頃、特別支援学級(病虚弱学級)に通っていました。
基本的には特別支援学級で過ごしていましたが、合唱コンクールの準備やレクリエーション活動のときのみ交流学級へ行くことになっていました。
同じ特別支援学級の友達は合唱コンクールの準備やレクリエーション活動だけでなく、月に数回、交流学級に行って一緒に給食を食べたり、委員会活動に一緒に参加したりしていました。
今回は当時の私が、特別支援学級から交流学級へ行くときに感じていた気持ちを書きます!
・ハードルが高すぎる
当時の私にとって交流学級へ行くことはとても勇気がいることでした。
交流学級へ行ってもどうせ一人ぼっちになるだけでしょ…みたいに思っていました。
交流学級の子たちはすでに仲良しグループができていて、その輪の中に私が入っていくのはハードルが高かったです。
・絶対に疲れる
私は音に敏感です。いろんな人がそれぞれ話している環境は私にとって辛い環境でした。そのため、たくさんの音がある環境へ行ったら疲れるのが目に見えていたので、正直なところ行きたくなかったです。
・吹奏楽部の子に会うのが気まずい(笑)
私は小さいころからピアノを習っていて、音楽が大好きだったというのもあり、中学に入学してすぐ吹奏楽部に入部しました。しかし、入部して、2日目から体調が悪くなり、1週間後には入院することが決定してしまいました。なので、結局私が吹奏楽部で活動できたのは1日だけでした。
吹奏楽部のみんなは優しく、たった1日しか活動していなかったのにもかかわらず「退院したら一緒に演奏しようね!」「頑張ってね!」「待ってるよ!」といった寄せ書きを作ってくれました。
退院して学校に戻ってきたはいいものの、当時の私は体力が本当になかったため、週3くらいの登校で、行ったとしても午前中で帰ることの方が多かったです。こんな状態では、学校終わりに吹奏楽部で活動するのは無理じゃないですか。
「どうしてみんなと一緒に練習とか演奏できないの?」って誰かに聞きたかったです。誰に対してかは分からないけど…(笑)
ある日、吹奏楽部の友達と廊下でばったり会ったときに「もえ~!いつ吹奏楽部に戻ってくるの?いつでも戻ってきていいからね!待ってるよ!」と言ってくれました。
すごくすごく嬉しかったです。私もみんなと一緒に楽しく演奏したかったです。演奏会とか出てみたかったです。しかし、体調のことを考えると不可能でした。なので、「ごめんね。ありがとね。ごめんね」としか言えなかったです。
そのときは移動教室だったので、お互い時間がなく、私の体調のことを話すことができませんでした。
みんな私のことを待っていてくれていて、学校にも通えているのに、吹奏楽部に行かないっていうことは、吹奏楽部に行きたくないとか思われるんじゃないか。寄せ書きまで書いたのになんで来ないの?とか問い詰められるんじゃないかと思っていました
今思えば、こんなことを考えていたなんて時間の無駄だったなぁ(笑)って思います。
ただ、当時は本当にこんな感じで考えていたので、交流学級で吹奏楽部の子に会うのを勝手に気まずいと感じていました。
まとめ
交流学級へ行くことは当時の自分にとってとても大きな壁でしたが、その経験が私にとってかけがえのない学びの一つとなりました。
ハードルが高いと感じていたことや、気まずいと感じていたことに関しては、もっとたくさん交流学級の子たちと過ごして、コミュニケーションをとって、仲良くなることができていたら、こんな風に思ってはいなかったかもしれません。
コミュニケーションを取ることって大切だなぁと感じました。
孤独や不安もありましたが、
今、こうして振り返ると「こんな時もあったなぁ~」と懐かしく思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!