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サントリーホール・サマーフェスティバル2024(6) ザ・プロデューサー・シリーズ アーヴィン・アルディッティがひらく オーケストラ・プログラム

◯細川俊夫(1955~ ):『フルス(河)』~私はあなたに流れ込む河になる~ 弦楽四重奏とオーケストラのための(2014)

◯ヤニス・クセナキス(1922~2001):『トゥオラケムス』90人の奏者のための(1990)

◯ヤニス・クセナキス:『ドクス・オーク』ヴァイオリン独奏と89人の奏者のための(1991)

ソロ・ヴァイオリン:アーヴィン・アルディッティ

◯フィリップ・マヌリ(1952~ ):『メランコリア・フィグーレン』 弦楽四重奏とオーケストラのための(2013)

アルディッティ弦楽四重奏団
指揮:ブラッド・ラブマン
東京都交響楽団
後援:ブリティッシュ・カウンシル

今年のサマーフェスティバルの千秋楽は、プロデューサーであるアルディッティ氏、テーマ作曲家マヌリ氏の顔合わせによる公演となった。

細川作品…弦楽四重奏とオーケストラの弦楽のやりとりはおもしろい。けれども、それ以外の箇所は全体にオーケストラの影が薄い。弦楽四重奏のほうは単体で充実しており、この編成であることの必然性が残念ながらあまり感じられない。

クセナキス作品…武満徹60歳のお祝いのために書かれた作品。敢えて打楽器のない編成に仕立てているところに、式典曲としての性格づけを感じる。冒頭はファンファーレのように感じられる。本当は管楽器のみにしたかったのではとさえ思う。中間部では日本音階的なスケールによる旋律が歌われる。弦楽器はよく鳴っていて、管楽器とのバランスは良好。

クセナキス作品…タイトルはギリシャ語の二つの単語、「ドクス="弓で弾く楽器"」と「オーク="オーケストラ"」を組み合わせたもの。こちらも打楽器が不在である。冒頭、管楽器群の合奏が和声付きの旋律を奏でていく。そこに弦楽器群が加わると、まるでパイプオルガンのような響きがする。打楽器を欠くのには理由があった。本作は、オルガンを擬態するオーケストラ、独奏ヴァイオリンによるオブリガード付きというべき構造だろう。一つの趣向だけで書かれていると言えばそれまでなのだけれど。

2曲とも、かつての暴力的なまでのエネルギーは鳴りを顰め、やや物足りなくも感じられるー管・弦のバランスがとれていたのは、筆致のせいかもしれないー。ただ、こうした後期の作品をみることで、作曲家を多面的に捉えることができるのかもしれないとも感じた。

マヌリ作品…本作は作曲者の3作目の弦楽四重奏曲「メランコリア」に基づいている。タイトルはデューラーの銅版画Ⅰ「メランコリアⅠ」による。この銅版画にはユピテル魔法陣(4×4の升目に数字が書き込まれている。その縦、横、斜め、右上・右下・左上・左下・中央、中央2行の端、中央2列の端、いずれの4マスをとっても和が34になる)が描かれている。

http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2013/03/post-1.html より借用


この魔法陣から派生した様々な数字の組み合わせにより、ピッチやリズムなど曲の基本構造が決定されているという。そして、ほぼ原曲を辿る部分と、大幅に改変した部分とがあるとのことである(須藤まりな氏によるプログラムノート)。

冒頭の独奏ヴィオラと管楽器の重ね方、同じくⅠ後半の細かく刻まれる快速なリズム、Ⅱ(だったか)での、ピツィカートから管楽器への接続など、音楽的に「映える」箇所が多々ある。カルテットとオーケストラを有機的に協奏させることに成功している。カルテットの魅力も充分に活かされている。しかしながら、全体としては印象が薄く感じられた。

生演奏を聴いた記憶が新しい間にと、原曲(第3弦楽四重奏曲)の音源を聴いてみた。オーケストラ版とは印象が大きく異なり、モノクロームの色調の中、全編にあたかも秘術に立ち会っているかのような妖しい雰囲気が漂う。率直に言って、原曲のほうが完成度が高い。オーケストラ版は、音響的にメリハリがつけられ、聴きやすく仕立てられているが、それによって全てが平明になり、陰翳が失われた憾みがある。今回聴いたマヌリ作品の中で、唯一もう一度聴いてみたいと感じたのは、皮肉なことにこの、弦楽四重奏版の「メランコリア」であった。(2024年8月29日 サントリーホール・大ホール)

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今年のサマーフェスティバルは、アルディッティに始まり、アルディッティに終わった。考えさせられることがたくさんあった。それはともかく、さまざまな作品と、数多の優れた演奏に触れることができ、本当に楽しい1週間だった。

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