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終章: S(atori) のこと

◎その昔、師匠カエルからワタクシ、坐禅カエルが聞いたところによると ...

カエル「ふ〜ん、Sワードかぁ … でも悟りって、何なんでしょうね?悟りを得ると、遊び人が賢者になったりするんですか?ケロ。」

師匠「そりゃドラクエじゃな。悟りとは、こういうもんじゃ!と教えてやりたいところはやまやまなのじゃが、こういうもんじゃと言った時点で、もうそれは悟りじゃなくなっちゃうのじゃな。」

カエル「ヘぇ〜、そりゃまた、どういうことですか?」

師匠「こういうもんじゃ!と聞いた瞬間、頭の中に『そういうもの』がヒョイっと思い浮かぶじゃろ?で、そりゃ、言葉を理解しようとしたら、必ずそうなるんじゃ。そのときどうなるかというと、思い浮かんだものと、それを思い浮かべる人が、二つに分かれる。『こっち側』にいる自分らしきものが、「あっち側」の思考を見るわけじゃ。実際、ものを考えたり、何かに悩んだりしているときって、リアルにそういうふうに感じるじゃろ?なんか、自分っていう塊が体の中にあるように思えるじゃろ?」

カエル「それ、一般的に言って、ごくフツーのことかと思うのですが … ケロ。」

師匠「この、自分と相手と二つに分かれているのが、迷っていることに他ならないんじゃな。つまり、悟りの説明を聞いて理解すると、それだけで、悟りの説明に迷ってしまうのじゃ。これって泥沼じゃよ。わかる?」

カエル「う〜ん、なんとなく … ?あ!そ、そしたら、そのぉ、二つに分かれていないのが、悟りなんじゃないっすか?ケロ。」

師匠「カッカッカ!やっぱり、そう聞きたくなるわなぁ。そりゃ理屈としてはその通りではあるのじゃが、そうすると、やっぱり『なるほど、二つに分かれていないのが悟りなんだな」と迷うわけじゃよ。』

カエル「うぐぐぐ … でも、そしたら、今のまま、何にもしないでいるのがいいんじゃないですか?」

師匠「それそれそれぃ!!また、考えて納得しようとしたじゃろ?このやりとり、確か最初の章でもしたのではないか?」

カエル「うぎゃっ … そ、その通りです …。」

師匠「だからと言って、悟りなんてない、と言ったら、それもまた妄想なんじゃ。どう言ってもいけない、どう聞いてもいけない、どう考えてもいけない、どう納得してもいけない、じゃあ一体、どうしたらいいんじゃろな、カエルよ。」

カエル「万事休すですね …」

師匠「おお〜、ちょいとマシになったぞ。万事休すじゃ。そう。具体的には、どうしたら良いかな?」

カエル「う〜ん、う〜ん、う〜ん … あ、ムーっ!ですね!」

師匠「Bingo じゃ!やっぱ、それなんじゃな。万事休すでムーっなんじゃ。」

カエル「どうしてムーっなんすかね?」

師匠「前にも説明したのじゃが、一所懸命にムーっとやっているときは、ムーっとやっていることも意識せずに、でも一所懸命ムーっとやっておるじゃろ?やりながら、やっておらんのじゃ。なんかしながら、なんもしておらん。このとき、お前の言っていた『二つに分かれていない』なんじゃ。ここんとこ気をつけてな … これ、二つじゃないけど、一つでもないんじゃぞ。自分もないし、ムーもなかったんじゃ。んで、自分もムーもあるんじゃ。全部ムーじゃ。この事実を、腹の底から、心の底から飲み込んだところ、腑に落ちたところを、仮に悟りと名づけておるんじゃな。悟りというラベルに用事はないんじゃぞ。なんなら「プッチンプリン」と名づけても良いんじゃ。まあ、雰囲気的に「身心脱落」とか、良いラベルじゃと思うがな。」

カエル「でもお師匠様、そしたら、その事実がわかった瞬間に、二つに分かれちゃうんじゃないですか?」

師匠「お前は、ほんのたまにじゃが、良いところを突いてくるの〜。」

カエル「(ほんのたまに、は余計ですよぉ〜)ケロ。」

師匠「その通り。何か『わかった』というものがあるうちは、やっぱり徹底していないんじゃな。わかった何かを見る自分を作っちゃう。というか、作らないと、わからないんじゃ。それで文字通り、分かれちゃう。こりゃ仕方ない。それでも、な〜んもわからなくて真っ暗闇、迷いに迷っているときとは、やっぱり違うんじゃよ。今までは、そうなのかな〜、と思いながら、でもとりあえず頭で理解して、それなりに人の言っていることを信じて、真っ暗闇の中で、手探りでムームーやってきたわけで、こりゃある意味、盲信に近い。」

カエル:「も、盲信ですか … ?」

師匠「うむ。盲信じゃ。そこから転じて、体験的に真実がわかるわけだから、何が本当で何が嘘なのか、確信を持って見分けられるようになる。百聞は一見に如かず、じゃろ?そしたら、水中で息を止めて解脱、とか、不眠不休、断食してニルヴァーナの境地へ、とか、思考を止めて無念無想、とか、そういう方向には絶対に行かないんじゃよ。」

カエル「あれ?そうすると、その『わかった』というのも余計だから … 」

師匠「そうじゃ、そうじゃ。そういうお荷物を降ろしていくのに、また骨を折らにゃいかん。じゃからな、多くの人がイメージしているような、悟って happy ever after みたいな感じでは全然ないんじゃな。」

カエル「気の長い話ですね〜 … 」

師匠「そうじゃ。んで、悟ったら悟ったで、俺様悟っちゃったぜ、みたいな感じで、いやらしい、鼻持ちならない天狗様になったり、なんか、そんなら悟る前の方が良かったんじゃね?!的な変な感じになることもあるので、要注意なんじゃ。これだって、やっぱり地道に坐っていけば、そういう『臭み』みたいなものも取れてくるんじゃがな。まぁ、だんぜん楽になる。」

カエル「ふえぇ、てっきり悟りが修行のゴールだと思っていました … ケロ。」

師匠「まぁ、ゴールと言うより、区切りじゃな。はっきりと区切りは付くんじゃ。ただ、そっからが、実は結構大変 … 悟りを日常に慣らしていくというか、最終的には、悟りと日常がぴったり一致した生活(それは、表面上にはフツーな生活に見えるかもしれんが)になっていくわけじゃが、それには、地道な努力が不可欠、というわけじゃ。ただ、確実に言えるのは、坐れば坐るほど、人生楽になるよってことじゃな。これは、悟っていようがいまいが、そう。間違いないよ。」

カエル「ふむふむ … そうなんですね。ケロ。」

師匠「そして、もひとつ大切なこと。お裾分けじゃ。」

カエル「今晩の夕食の話ですか?」

師匠「バカもん!違うわい。自分が安心できたら、今度はその安心のお裾分けをするんじゃよ。手を尽くして、手を替え品を替えとやって、同じように人に安心してもらうんじゃ。だって、この楽さを独り占めするなんて、そんなもったいないことはないからの。」

カエル「なるほど〜 … ケロ。」

師匠「まぁ、それもある種の煩悩と言えば煩悩じゃけどな。あの人にも、この人にも、安心してもらいたい!みたいな、な。要らぬおせっかいじゃ。でも、そういう煩悩があるところが、お裾分けをしたい人の尊いところでもあると ... そうワシは思うのだが、どうじゃ?」

カエル「いや〜、お師匠様って、実はすごい人だったんですね!」

師匠「(だ、ダメじゃこりゃ …)。まぁ、それは完全に腹が一杯になってからのご相談じゃがな。」



師匠「何か質問ある?」

カエル「とりあえず、OKっす!」

師匠「よ〜し、じゃあ、骨折って坐ってもらおうかの!」

カエル「はい!」

【了】

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