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仕事を退職することになった話
12月の12日の深夜にくも膜下出血を起こし、意識を無くした。
深夜2時に、パソコン前の座椅子で目を覚ました。何故か失禁している。その当時はあまりにも眠たく、明日も仕事だからという理由で下の着替えだけを済まし、寝た。
再び、朝6時半に目を覚ます。しかし、まだ頭がかなり痛い。携帯を持ちながらふと考える。
「これ、くも膜下出血じゃないか、、、?」
そう迷わずに119番へ電話。事の経緯と場所を話す。玄関は自動ロックなので、すぐに入れるようにしておく。
そう時間も経たず、救急隊員2名が到着。
まだ意識はあったため、聞かれたことに対して答える。担架で救急車に乗せられ、病院へ。病院の手術台?に乗せられたあたりで意識をなくした。
意識が戻ると、妙な状態だった。
頭が金属でバチバチなのだ。ホッチキスで留めてある状態で、なんじゃこれといった感じ。
点滴が何種類かと、鼻にはホース、排尿用にもホースが繋がっている。
そして、極め付けは言葉を話せなくなっていた。話したい言葉は喉元まで出てくるのだが、口から出てくることはなかった。
いる場所は、集中治療室だった。命の危険がある人たちばかりが集まるところだ。
最初はとにかくご飯が食べられない。看護師さんにある程度、食べさせてもらう。
そして、1週間経ち、言葉が出てくるようになる。以前に失声症を一度経験しているので、話せないこと自体に恐怖を感じなかったが、一安心出来た。
そこから、歩行練習に入り、少しずつ歩けるようになる。最初の歩行練習の時、手術担当の主治医と少し話が出来た。手術には7時間かかり、頭蓋骨に穴を空け患部に処置し、開いた傷跡は30針縫ったらしい。このバチバチはこれか。
主治医の話では、くも膜下出血は、死亡が20%、後遺障害が50%、元に戻れるのは30%らしい。
背骨の髄液の調整を行なっていて、その髄液の漏れなどトラブルもあったが、2週間で一般病棟に移る。(※ちなみに背骨に針を4本刺すのだが、かなり痛い)
一般病棟に移ってから、いろいろ不具合が出て来て、それを治すのに10日ほどかかった。
今、現在、3つ以上あった点滴は1つに減り、排尿用のが繋がっている状態だ。これも、明日に外れる可能性があると聞いている。主治医も順調だと言っていた。
退院がいつになるのか。疑問だったが、懸念が1つあった。仕事のことだ。
このままあの職場に戻るビジョンが見えない。病み上がりで、また嫌味の応酬をわざわざ受けに行くメリットはなにもない。
倒れる1週間くらい前、社長にやりたいことがあるので、仕事を辞めたいと相談していた。だが、社長は絶対に辞めて欲しくない、お前はウチに必要な人間だとあまり聞いてもらえなかった。なので、電話で話してもまた繰り返すことになるのか、という不安はとても強かった。でも、今、きちんと連絡をしておかないと出社しなければいけない可能性も出てくる。病院は今、インフルが広がり面会は無理だ。思い切って連絡してみることにした。
仕事が終わった辺りの夜7時過ぎを狙って電話した。ラインで電話をしてもいいか確認してからの電話だ。
まず、社長はわたしが元のように話せていることにとても感激してくれた。わたしがまだ生きていることに感謝してくれた。うちの会社は、あまり出来た人間は少ないが、社長は人格者で、わたしが今まで出会ってきた上司の中で最高の上司だと思う。
倒れた経緯から、今に至るまでのことを説明する。
それでよく今のように話せるようになったなあ、と感心してくれた。そして、ここまで自分のことについて喜んでくれている方に申し訳なかったが、このまま辞めたいことを出来るだけ丁寧にお話しした。
すると、社長はわたしが生きてくれていただけでも十分だ、保険じゃなくても君が誰かの役に立つために他の道に行くのならば、それでも良い、と言っていただけた。
正直嬉しかった。
また、退職日のことなど話そうと電話を終えた。
病室に帰り、少しだけ罪悪感を感じた。
しかし、自分が一生かけてやってみたいことが見つかったのだ。これでよかったのだと、そう思った。
これから、やりたいことを精一杯やっていく人生になるでしょう。
今回のことで、わたしは生かされた。やるべきことがあるのでしょう。
一人暮らしの脳梗塞はイコール死に繋がります。わたしが何度も目を覚ましたこと。生かされているとそう感じます。
ちなみにですが、、、今4人部屋でわたし以外の3人がインフルですw
まだわたしは平熱ですが、どうなることやら。
では、また。
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。