【京都の駒札54】圓光寺
瑞巌山と号し、臨済宗南禅寺派に属する。慶長6年(1601年)に徳川家康は国内教学の発展を図るため、足利学校第9代学頭三要元佶禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許可した。
また、孔子家語・貞観政要など多くの漢籍を出版し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と呼ばれる。当寺には出版に使用された木活字(重文)が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。
その後、圓光寺は相国寺山内に移り、さらに寛文7年(1667年)現在の地に移転した。
寺内には本尊千手観世音菩薩(伝運慶作)・開山元佶禅師頂相(重文)・雨竹風竹屏風図(円山応挙作・重文)・日本最古の木活字約5万個(重文)がある。
山門を入ると枯山水の奔龍庭がひろがり、更に中門を抜けると杉苔と紅葉の美しい十牛之庭があり、水琴窟が澄んだ音色を響かせています。