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【京都の駒札51】泉涌寺(せんにゅうじ)

 真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室とのかかわりが深く、「御寺みてら」として親しまれている。
 寺伝によれば、平安時代に弘法大師によって営まれた草庵を起こりとし、法輪寺(後に仙遊寺と改称)と名付けられた後、建保けんぽう六年(一二一八)には宋(中国)から帰朝した月輪がちりん大師だいし俊芿しゅんじょうに寄進され、大伽藍がらんが整えられた。その際、境内に泉がき出たことにちなんで泉涌寺と改められた。仁治にんじ三年(一二四二)の四条天皇をはじめ、歴代の多くの天皇の葬儀が行われ、寺内に御陵が営まれており、皇室の香華院(菩提所)として厚い崇敬を受けてきた。
 広い境内には、運慶の作と伝えられる釈迦仏、阿弥陀仏、弥勒仏の三世仏を安置する仏殿(重要文化財)のほか、釈尊の仏牙(歯)をまつる舎利殿、開山堂、御所の建物を移築した御座所、霊明殿れいめいでんなど数多くの伽藍が建ち並んでいる。
 寺宝として月輪大師筆の「泉涌寺勧縁疏かんえんそ」(国宝)、楊貴妃観音堂に安置されるしょう観音像(重要文化財)など、多数の貴重な文化財を所蔵する。また、謡曲『舎利』の舞台としても有名である。
 山内の塔頭たっちゅうには七福神が祀られており、毎年成人の日に行われる七福神巡りには多くの参拝客でにぎわう。

2022年1月3日撮影


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