【京都の駒札⑩】海宝寺(かいほうじ)
黄檗宗 福聚山海宝寺は、黄檗宗萬福寺開祖・隠元隆琦禅師が中国から伝えた精進料理「普茶料理」で知られ、普茶開祖道場と呼ばれる。享保年間(一七一六~一七三六年)、萬福寺十二代・杲堂元昶禅師によって創建され、萬福寺十三代・竺庵浄印禅師が隠居先とした。京都伏見の呉服商・大文字屋(現・百貨店大丸の前身)の創始者・下村彦右衛門正啓は竺庵禅師に帰依し、自ら浄財を投じて伽藍を築いた。庫裏は下村家の屋敷を移築したもので、江戸時代中期京都で活躍した奇想の絵師・伊藤若冲(一七一六~一八〇〇年)によって寛政二年(一七九〇)に「群鶏図」が描かれた。この絵は約一〇メートルにもおよぶ水墨の連続画面となる障壁画で、若冲はこの絵を描いた後、筆を執らなかったことから、障壁画の部屋は「若冲筆投げの間」と呼ばれる。境内は、仙台藩の藩祖伊達政宗の居館跡といわれ、伊達政宗手植の木斛や豊臣秀吉遺愛の手水鉢などが伝わる。