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Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70〜’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち             第2話『自殺〜コックサッカーズ』


 取材・文◎カスヤトシアキ
協力・資料/音源/文◎高八(高橋清次)
話/ジョージ(野月譲治)
協力◎古岩井公啓(Good Lovin’)

 

西新宿のとある公園にて

 

 西新宿にある柏木公園でボォっとしていた。待ち合わせに1時間早く来てしまったのだ。

 丸い園内には大木が3本聳え立ち、ビルの隙間にわずかな緑を演出している。石造りの座台が2段、園を取り巻くように囲っていて、砂場と小さな滑り台だけが角に設置されているのだが、そこで遊ぶ子供たちは見当たらない。代わりに暇な大人たちが溜まっている。学生らしき若者がスマホに興じ、菓子パンをほおばる兄さんと水っぽい姉さんの間で、遠慮ない鳩たちが地面をついばんでいる。リュックを背負った退職年代のオッサンたちが数人、缶ビールに喫煙で人生を煙に巻くように笑い合っているのを見て、″ありゃあ、同年代だな″と、思った。30年もひっくり返せば、新宿ロフトで騒いでいたクチだろう。そんな風体は年食っても変わらないものだ。そう思って感慨にふけっていたときである。

 遊び疲れた犬のような顔をしたコイワイ君(Good Lovin’)が、公園の入口から入って来た。

「この公園、懐かしぃっすよ! 昔はよく来ましたもん」

 そう言いながら怪しげに笑うのだ。いったい、この男の過去に何があるのだろうか? なんて、そんなことはどうでもいい。取り敢えず、あたりをひと回りして目的地の格安居酒屋に向かった。

 目的の店に着くと、Kさん(K&Bパブリッシャーズ)はすでに到着していて、シャッター前で佇んでいた。まだ夕方の5時前である。中年男が3人して格安居酒屋のシャッター前で談笑する図。

 “さっきのリュックを背負ったオッサンたちとなんも変わんないな”と苦笑した。

 店内に一番乗りしてしこたま安酒をあおり、身体にすこぶるワルそーなつまみを食し、しこたま酔っ払ったところで仕事の話になった。(酔ってからするのかい?!って感じだが…)

 そこで、コイワイ君が、ひと吠えするが如く嬉々として発言した。

「『ウィスキーズ』の7インチの復刻とライブ音源をリリースできないですかね?」

 “できるだろ!”、と僕とKさん。即答である。

「それなら、ジョージ自身をもっと世に知らしめたいな。『ウィスキーズ』は彼が言い出しっぺなんだからさ!」

 と、一杯150円のハイボールを煽りながら発言すると、

「そのことについては、前から言っているじゃない」とKさん。

「『K&B note』に連載しなさいよって。次の締め切りに間に合うようにさ」   
 と、サラッと言う。 

「えっ!?」

 突然にボォっとしていた気持ちに幕が降りた。

 大変だ!それじゃあ、とにかくジョージに会って話を聞かなければ。焦る気持ちが千鳥足に絡みつき、行き当たりばったりの性分に油を差す。

 やにわにLINEの『ジョージ』を開き、“次の金曜の午後4時に会えるかい?”と送るのであった…。

(其の1/『いつものC A F E』に話は戻る▶︎)

●LAMES / Whiskies (ウィスキーズ、7インチシングルリマスター復刻&未発表ライブ2CDより)

 

ジョージ/談『自殺〜コックサッカーズ』

 『最初のバンドが『自殺』だなんて、縁起でもないぜ』


「高校を出たら『東京デザイン専門学校』ってところに通ったよ。原宿の駅前にあるっていうのが気に入ったんだ。遊び盛りだったからさ、てっきり遊べると思ったんだけどね、実際には大違いだった。すげぇ厳しくてさ、課題を出さなかったら半年でクビになった(笑)。

 その頃だよ、渋谷の屋根裏で『自殺』ってバンドを観たのは。そうしたら、ヴォーカルの川上(※1川上浄)が「このバンドは解散して新しいメンバーに変える」って言うもんだからさ、すかさず“俺にやらせろ!”って言ったわけ。それで、カズ(※2中嶋一徳)とクリ(※3栗原正明)が抜けて、俺と高八、それに石黒(※4石黒耕一郎)が入ったんだ。ドラムの佐瀬(※5佐瀬浩平)はそのまま残った形でね。後に宮岡(※6宮岡寿人)やマーチン(※7高安正文)も入ったりするんだけど、まぁ、出たり入ったりなんだな、これが。当時の俺はまだ19歳だった。すぐに『自殺』は『コック・サッカーズ』なんていう何とも言えないバンド名に変身するんだけど、演っていることはほとんど一緒なんだよね(笑)」

初期の『自殺』。子供のようなカズがかわいい。

●自殺「ぶた」(1978年)※クリがムービースターのようだ

●自殺「どうしようかな/曲・村八分」(1980年屋根裏)


 『“自殺”というバンドの記憶』 高八(たかっぱち・高橋清次)

 
 『自殺』というバンドのことをもっと詳しく知るために、高八に問い合わせをした。ジョージと高八は立川の公立小学校に通っていた時代からの親友であり、共有した時間も永かったからである。

 ゆえに、以下は高八の心の奥にしまってあった若き日々の記憶なのだ。

 ジョージと高八の2人は中学に入るとそのままバンドを組んだ。ジョージがギターで高八はベースである。ヴォーカリストを探したが見当たらないので、仮に高八がヴォーカルを取っていたのだという。ちなみに小学校の時のジョージのアイドルは『ジャガーズ』だ。

●The Jaguars - Dancing Lonely Night, 1967


 この曲が流行った時のジョージと高八は8歳である。だから、少し遅れてからだと思うが、この曲で夜通し踊り狂って、ジョージの母親(フミさん)に、「これっ!じょんじ!」と怒られていたそうだ。(ジョージは母親から“じょんじ”と呼ばれていたらしい) 酒の席で、「ジャガーズのメンバー全員のサインを持っているぜ!へへへ!(笑)」と、ジョージが言い出したらそろそろ終いである。そんな時は必ず酩酊しているときなのだから…。

 ▼ちなみにコチラは、その「ダンシング・ロンリー・ナイト」を、ディスコブームの時にミュンヘン・ディスコ風にアレンジしたもの(’79年)。

●ダンシング・ロンリー・ナイト  コズミック・ギャル


 余談だが、僕も新宿の『※8サンダーバード』にジャガーズを観に行ったクチである。というより、当時、中学生の分際でジャズ喫茶に入店するには、大人の仮装をしなければならなかった。(18歳未満入店禁止だからね)親父の背広をだぶっと着込んだか、買ってもらったばかりの黒のブレザーを着て行ったのかは忘れてしまったが、入り口で見張っているコワモテ黒服の横を、逃げるようにすり抜けて入店したのだ。薄暗い店内にはシンナーの匂いと陰湿な雰囲気が漂っていて、クラゲや蝶々のような姉さんや兄さんたちが壁際をニュルニュルとうごめいていた。まさにそれは、不良になる扉を開けた瞬間。そんな、なんとも言えないゾクゾク感を今でも覚えている。やがてステージに現れたジャガーズは、GSらしからぬロックバンドに変身し、欧米のヒット曲を朝飯前のごとくに演奏するのだ。(オリジナル曲は1曲もやらない)それを、確か、ステージの左側の壁に寄りかかって観ていたのだが、その時、目の前に(14年間の人生では)見たこともない妖艶な姉さんが突然に現れ、「踊らないの?」と、少し呂律(ろれつ)の回らない口調で誘ってきた。その虚な瞳と、厚みのある唇が、ミラーボールとストロボライトに照らされ、くるくると回って見えたのを覚えている。僕がどうしていいか分からずに固まったままになっていたら、しばらくヒラヒラと僕の周りを飛び、突然に飽きたかのごとくステージ前まで飛んで行った。そこに、ちょうどワンステージを終えた岡本信(ジャガーズのヴォーカル)が寄って来て、「どこから来たの?」と、ひとこと言ったかと思うと、ごく自然に蝶々を撫でるように、サッとバックステージへと捕獲して行ってしまったのだ。僕はその時の出来事をずっと忘れない。それ以来、岡本信は違った意味で僕のヒーローになった。

 ということで、懐かしのジャガーズのヒット曲をもう一いっちょう!▼

●ザ・ジャガーズ ♪君に会いたい

 
 さて、それはさておき、そのヴォーカリスト探しだが、その後も延々と続いたのだとか。しかし、なかなか一緒にやれそうなヴォーカルには出会えなかった。

●高八 「ジュネ(※9 GENET)を気に入って、彼の家まで会いに行ったこともあったけど、結局、それだけで終わり」

 メンバー募集の告知をしながら次々とセッションを行うも、結局徒労に終わった。そんな中、ジョージと高八の学友を介した縁で、ある“運命的な出会い”をもたらすセッションが行われたのだが、その話はまた次号で(もったいつけています)明かそうと思う。<武道館を揺るがす話なので……(笑)>

 さて、ライブハウスに通ってはメンバーを物色していたジョージは、ついに『自殺』の川上と出会う。川上を発見した屋根裏で、スタジオでのセッションを取り付けて来たのはジョージだった。早速、川上との感触を試してみたのである。

●高八 「僕がそのセッションで川上に対して最初に感じのは、声量があり、歌声がよく通り、低い音域まで力がある魅力的なヴォーカリストという印象でした」

 ジョージたちにとっては長年探し求めていたヴォーカリストの青写真を川上に映し見るコトができた。川上にとっても『自殺』を再編成するためのメンバーを探していたのだから、渡りに船という格好だったに違いない。さっそく、『自殺』のLIVEをやろうという話になり、川上のマンションでファースト・LIVEのためのリハーサルを行なった。当時、川上は石黒とルーム・シェアをしていたので、石黒もバンドのメンバーとなり、その部屋にあった小さなアンプに石黒とジョージのギターを繋ぎ、簡易的なセッションを行ったのだという。それをラジカセに録音して、ドラムを叩くことになっているマーチンに渡すのだった。つまり、この時のドラムはマーチン(※7高安高文)になったのである。

●高八 「スタジオ・リハは全く無いままでLIVEに入りました。見るからに無謀な計画でしたが、さしたる抵抗感もありませんでした。本番当日に初めてマーチンに会ったという記憶があります。ですからバンド自体の演奏は、まったくのぶっつけ本番。曲のエンディングとかに難はありましたが、ビートをキープする部分でのグルーヴ感はピッタリと嚙み合った覚えがあります」

 この頃の川上はリーゼントにスーツという出立ちで、まるでデヴィッド・ボウイを意識しているかのようだったという。演奏した曲目は、ジョージと高八共作のオリジナル曲と、自殺のオリジナル曲、そしてドアーズや村八分、ストーンズのカバー曲という編成だったという。

●高八 「僕と野月(ジョージ)は、それまで富士夫の曲には馴染みがなくて、少しばかり覚えるのに苦労しましたが、自分なりの弾き方でやってみよう思った覚えがあります」

●村八分BOX -LIMITED EDITION Trailer


 新生『自殺』でのマーチンのドラムは初回だけで、2回目からは佐瀬(佐瀬浩平)が参加することとなる。そこからはスタジオ・リハも定期的に行い、ライヴの回数も増えていった。

 ●高八 「佐瀬のドラミングは、得体が知れないって感じで、最初はいったい何処に行っちゃうんだろうってイメージがありました。でも、それは佐瀬が色々なスタイルの引き出しを持っているからだと、やっているうちに気がついたんです。すると、後はやりやすくなりました。一度イメージが固まってからは抜群に安定したビートを叩き出してくれて、格段にベースが弾き易くなった覚えがあります」

 ●鼻からちょうちん

 

 ライヴやスタジオの合間には、高円寺駅前のミスター・ドーナツでミーティングを行ったという。数々の居酒屋でも当然飲んだ。やがて川上自身も高円寺に引っ越して来て、スタジオ・リハなども高円寺が本拠地になる。

 ●高八 「ある時、ライヴを欠かさず聴きに来てくれる黒いサングラスの人物がいることに気がつきました。野月(ジョージ)に「誰なの?」って聞いたら、「村八分にいた青木さんだよ」って教えてくれました。青木さんは常に無口で、僕らと会話をかわすことは少なかったけれど、ドコかでつながっているような不思議な親近感があったような気がします」

●TEARDROPS - 冷たい雨

 
 印象的だったのはラフォーレ原宿でのライヴだったという。対バンは 『ARB』 と 『アナーキー』。対バンというより、『自殺』は前座的な扱いだったのだが、これをきっかけに知名度アップと客動員に明かりがさし始めた事も事実である。

●高八 「その少し前に渋谷の『屋根裏』で『アナーキー』と対バンしたのですが、当時、彼等は売り出し中だったから、取材が楽屋にまで押しかけて来てね、川上はムカついていましたが、僕は内心ほくそ笑んでいました。だって、『アナーキー』との対バンがきっかけで、僕らのバンドの客動員も増えたのですから(笑)」

●アナーキー - ノット・サティスファイド


 『自殺』は主に新宿ロフトと渋谷『屋根裏』がホームグラウンドだった。村八分や冨士夫の曲を多く演奏することから、青ちゃんや冨士夫も顔を覗かせいていたのだ。

 そんなある夜……、

●高八 「新宿ロフトのステージだったと思います。ベロベロに酔っぱらったギタリストがステージに押し上げられて来ました。ちょっと日本人離れしたその男は、誰かが手渡したギターを持って、ゆらゆらと揺れながらもチャックベリーの曲を1曲演ったんですが。それが山口富士夫だったんですよね。僕が知っている冨士夫体験は、後にも先にもこの1回だけです」

●いきなりサンシャイン (from 山口冨士夫 GROOVY NIGHT IN KYOTO 2002)

 
 間もなくして、石黒と佐瀬がバンドを抜けて、ギターはジョージだけとなる。ドラムはマーチンで、ベースは高八、ヴォーカルは川上という4人編成になった。その後ギタリストは、以前から付き合いのあった宮岡が参加するのだが、ドラムはスケジュールの都合で佐瀬とマーチンが交互に叩くという変則状態が暫く続き、『自殺』は一時的に理由もなく活動を休止した。

学生時代のジョージと高八。不思議なくらい面影がある。


ジョージ/談 『川上はある意味、純粋だったのかもしれないね』


「川上ってのはさ、浄(きよし)って名前のごとく浄土真宗の家柄でさ、ちょっと変わっているんだよ。『村八分』に真髄していて、演る曲目は『村八分』か冨士夫ばかりだった。

 俺はその頃まで『村八分』をよく知らなかったから、川上に教わったよ。教わったのはそれだけじゃないけどな。まぁ、それはいいか(笑)。元祖、ビジュアル系だよな、川上は。綺麗に化粧してさ、金髪の髪の毛を靡かせて歌うんだ。最初の頃は声量もあったしさ、結構よかったんだけど、だんだんとぶっ壊れていくんだよな。ケミカルにな。

 奴は『ブライアン・ジョーンズ』が好きだった。ああいったイカレかたに憧れていたんじゃねぇかな。曲なんか作んねぇんだよ。いや、作れなかったのかも知れねぇな。『村八分』をコピーして歌っているうちは頭もニュートラルな状態なんだが、自分で歌詞を作って歌うなんてことを考えると、急に混乱してくるわけよ。まるで脳みその中で言葉がグルグル空回りしているのが見えるようだぜ!なんてね、コックサッカーズの初期の曲に『世間話』ってのがあるんだけど、その中で♪「ヤクザが風呂上がってどうでもいいぜ」♪なんてフレーズがあるんだ。どう考えたってそんな言葉が浮かぶはずねぇのに、川上には思い浮かぶんだろうね(笑)。そこんところは、奴にしか考えつかねぇわけよ。

●世間話/藻の月(2021/ShowBoat MOVIE by Andy Shiono)

 
 実に、ぶっ壊れてるんだよな。だからさ、たまらず俺がコックサッカーズの途中から、曲を作るようになったってわけ。だって、そうでもしなきゃ、延々と川上の大好きな『村八分』を演らなきゃならないってことだろ?!俺としちゃあ、早くそこから脱却したかったんだ。それなりに必死だったってわけさ(笑)。

 でも、俺はそんな川上が好きだった、本音を言うとな。川上はいつも冨士夫にまとわりついていて、冨士夫も川上には優しく接していたように見えた。ある意味、純粋な奴だったのかも知れないね。だから本気で壊れていくのかも知れない。今ではそう思ったりもするんだよね(笑)。

●コックサッカーズ「すすけた男」(1983年)

●コックサッカーズ「国道新八号線」(1983年)

●コックサッカーズ「コークとマック」(1983年)


  『“自殺”〜“コックサッカーズ”』 高八(高橋清次)


 『自殺』の活動休止の後、ジョージはオリジナルの曲を作り始める。 ジョージが作った曲をまずは川上と音を合わせ、その後から高八とアレンジをして仕上げるというスタイルだった。バンド名も変えようということになり、ストーンズの未発表曲のタイトルから『コックサッカーズ』にしようと決定。

『自殺』というシリアスな名のバンドが、『コックサッカーズ』というバンド名になるという、実に唖然とするシーンが生まれたのだ。

バンドも変わったんだから、リハをしようということになり、スタジオに入る段になってドラムはキヨシ(※10中村清)になる。 この時、キヨシはバンドの最年少メンバーであった。キヨシが入ることにより、『コックサッカーズ』の可能性が広がったと高八は言っている。

●高八 「たぶん、川上が呼んでいたのでしょうが、ときどき 宮岡の代わりにオス(※11尾塩雅一)が参加していた時期もありました。 メンバー相関図的には、この時すでにカノンのメンバーが交差していたわけですね(笑)」

 次第にLIVEの動員数も右肩上がりになり、ジョージが作ったオリジナル曲の効果が見え始めた頃、ある事件が起きた。

●高八 「LIVEにはコウ(伊藤耕)やリョウ(※12川田良)がよく来ていて、楽屋にも遊びに来ていたのですが、あるLIVEの夜、 リョウが僕らの対バンのメンバーからギブソンのSGを借りて、僕らの演奏に飛び入りしてきたんです。そこに不穏な動きをする観客が居て、怒ったリョウがその客をギターで叩いてしまった。その瞬間、ギブソンはネックからバキン! と折れて破壊されました。持ち主は唖然。リョウに弁償してくれとも言い出せず、泣きそうになっていたのですが、当のリョウは酔った勢いが止まらない。僕らにとってもちょっとした分岐点になる夜だったのです。」

 その出来事は巷の噂となり、随分と後まで尾鰭(おひれ)がついて世間に伝わった。いわゆる『フールズ伝説』の一つと言ってもいい。しかし、困ったのは、『コックサッカーズ』の次のライヴから全然客が入らなくなってしまったことだ。

●高八 「やっぱり、お客もこういう出来事があると、怖がるもんなんだなと思い知りました」 

 この頃から高八は、バンドを続けていくことに関して考え直し始める。高八自身は呼吸器系の持病を持っていて、発作が出ると演奏活動自体にも苦労していたのだという。 バンド活動を続けながら、本職は設計の仕事をしていて、「あまりロックの気質でもなかったし」と、自身の性格を振り返るのだ。設計の仕事がハードな時は、職場にベースを据え置いておき、夜になったらそれを手にライヴハウスまで飛んで、(例えば)フールズと対バンをして、終わったら職場にトンボ帰り。そのまま朝まで徹夜仕事とかいうこともあったのだとか。

●高八 「ある時、川上が睡眠中に手首の筋を痛めたとか言って、酷く痛がりながら歌ったライヴがありました。 これ見よがしに腕を三角巾で吊ったりしてね、ちょっとわざとらしかった。そんなに重症じゃなかったと思います。今から考えると、アレはドラッグの悪影響だったんじゃないかと思うんです。その頃からバンドも変わっていきました」

 その頃を境に、川上は精神的にもヴォーカルの歌唱面でも不安定になっていった。ジョージ自身は積極的に曲を書いていたが、それに反比例するようにライヴの回数は減っていったのだ。

●高八 「僕の体調も段々悪化していきました。バンドと仕事の両立が無理だったのです。 ある日ベースを抱えてバス亭まで行ったところで、「もう駄目だ」と悟り、野月(ジョージ)に電話して「スタジオには行けなくなった、俺はもう続けられない」と言いました。 それを機に僕は仕事とバンドを同時に辞めるハメになり、両親に世話をかけながら療養生活のような日々を送ることになりました。 だからバンドがその後どうなったか、正直なところ覚えてないのです」

 高八がバンドを辞めてしまったことを機に『コックサッカーズ』も暗礁に乗り上げることとなる、ジョージ自身もバンドを続けることを諦めたからである。それでも川上は、変則的なメンバーで『コックサッカーズ』のライヴをやっていたのだが、段々と自己破壊的になっていき、やがて消息不明となった。

●高八 「後にジョージがカノンを始めた頃は、僕の体調も多少たりとも回復してきた時期と重なったので、会場に行けたのですが、その会場でそうとう衰弱している川上を発見しました。川上もジョージのことはずっと気にしていたんですね、客に混じって声を上げているのが印象に残っています」

 川上のその後の消息は解らない。亡くなったという現実的な説もあるがハッキリとはしていない。

●コックサッカーズ「Brother Louie」(1983年)

 

小学校時代のジョージ。ジョージはセンターに陣取り、高八がベースを弾くように右端にいる。

(第2話『自殺〜コックサッカーズ』終わり▶︎第3話に続く)

 

【WHISKIES/CD】 2023年7月12日発売!

※青木眞一(TEARDROPS)、ジョージ(自殺)、マーチン(フールズ)、宮岡(コックサッカーズ)による、ウィスキーズ唯一の音源であるシングルリマスターを初復刻!山口冨士夫のカバーを含む未発表ライブを2CDに収録!


■初回限定特典CDR/予約■


 

 ●ジョージ(野月譲治)プロフィール

 

■藻の月/Vo・Gu
1959年生まれ。青森県三沢の出身。ドイツ人の父と青森県人の母を持つ。1979年頃、ヴォーカリスト川上浄と出会い、メンバーが流動的だった後期の『自殺』に参加。その後『コックサッカーズ』に改名してからは、ジョージのオリジナル作品でファンの心を掴んだ。そこで得た人脈とメンバーは、青木眞一(村八分・TEARDROPS)と組んだ『ウィスキーズ』、尾塩雅一(ルージュ)との『Canon』へと発展し、ロックンロールの伝説を生んだ。以前からのメンバーに加え、新たなメンバーと『藻の月』を結成。新メンバーの“若い魂”を注入し、過去と未来を繋ぐ“月の夜“を描いている。


 ●高橋清次 プロフィール

 通称/高八(たかっぱち)は、ジョージの立川時代からの幼馴染みであり親友である。中学時代からバンドを組み、『自殺』『コックサッカーズ』でも良きパートナーであったが、高八自身はミュージシャンに専念することはなかった。現在もジョージの適切なアドバイザーとして仲が良い。

 ●カスヤトシアキ(粕谷利昭)プロフィール

 1955年東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。イラストレーターとして社会に出たとたんに子供が生まれ、就職して広告デザイナーになる。デザイナーとして頑張ろうとした矢先に、山口冨士夫と知り合いマネージャーとなった。なりふり構わず出版も経験し、友人と出版会社を設立したが、デジタルの津波にのみこまれ、流れ着いた島で再び冨士夫と再会した。冨士夫亡き後、小さくクリエイティブしているところにジョージとの縁ができる。『藻の月』を眺めると落ち着く自分を知ったのが最近のこと。一緒に眺めてはどうかと世間に問いかけているところである。


 ●LIVE告知●

6月29日(木曜) 新大久保EARTHDOM(アースダム)


“WILD PARTY Presents”

●WILD PARTY●Gu/Vo.のYASUは、1980年に東京ロッカーズの『スピード』のドラマーとして在籍していた。後に『自殺』、『コックサッカーズ』でもプレイする。’85年よりGu/Vo.に転身し、現在は『WILD PARTY』を率いて活動。2020年より、『アナーキー』のベーシスト寺岡氏が『WILD PARTY』に参加している。

『このイベントは、『WILD PARTY』が主催する、ワイルドパーティ!』

出演:●ワイルドパーティー●藻の月●北澤組『スケルトンクルー』●浅井永久グループ

Open/18:00 start/18:30

前売り2,500yen 当日2,800yen

 ※1川上
川上浄(かわかみ きよし)。金沢から上京し、東京ロッカーズ・ムーブメントで『自殺』のヴォーカリストになる。『コックサッカーズ』というバンド名に改名した頃から迷走を始め、ジャンキーのまま行方不明になる。
 
※2カズ
中嶋一徳(なかじま かずのり)。父親はドラマー、母親はダンサーという潰しの効かない星の元に生まれたベーシスト。8 2/1、自殺、 SYZE、フールズ、TEARDROPSで活躍する。
 
※3クリ
栗原正明(くりはら まさあき)。東京ロッカーズ・インディーズ界の草分け的存在。ルアーズ・自殺・フールズの初期に参加後、人生の大半を主夫と釣りに費やし、なんだか幸せそうである。現在は『Ding-A-Lings』のギタリストでもある。
 
※4石黒
石黒耕一郎(いしぐろ こういちろう)。自殺にギタリストとして参加。『WC?』というBarを経営していた頃、その店はフールズを中心としたプアー・ロッカーたちのオアシスとなる。のちに山口冨士夫率いる『カウンターカルチャーバンド』に参加している。
 
※5佐瀬
佐瀬浩平(させ こうへい)。自殺、フールズ、TEARDROPSのドラマー。カズ(中嶋一徳)とは中学時代の同級生。野田元首相とも高校時代の同級生であるいうから驚きだ。
 
※6宮岡
宮岡寿人(みやおか ひさと)。自殺〜コックサッカーズではギター。ウィスキーズではベース、WAXではギター。どちらでも卓越したセンスで良い音を出していたが、神社の宮司の家系であり、結果的には神職を選択した。ジョージは、去る新年、宮岡の職する神社まで初詣に行って、縁台に上がっている本人を発見したのだが、恐れ多くて声をかけられなかったそうである。
 
※7マーチン
高安高文(たかやす たかふみ)。ルアーズ〜SEX〜SYZE〜フールズ〜ウィスキーズ〜カウンターカルチャーバンドと渡り歩いた愛すべきドラマー。そのドラミングはロックにとどまらず、とても感覚的であった。
 
※8サンダーバード
新宿歌舞伎町の仲見世通り。スカラ座や王城と対面の地下にあったジャズ喫茶。今でいうなら、ライブハウスである。ちなみに道一本間違えるとソープランド通りだった。(写真はスカラ座)
 

※9ジュネ(GENET)
GENET はAUTO-MOD(オートモッド)のヴォーカリスト。同バンドは1980年に結成して1985年に解散した。1997年に再結成している。
 
※10キヨシ
中村清(なかむら きよし)。ドラマー。コックサッカーズ、カノン、The GOD、aka-jam、The Ding-A-Lings、LAPIS TORIO,など、現在も数々のバンドに参加している。
 
※11オス
尾塩雅一(おしお まさかず)。ギタリスト。ルージュ、スクリュー・バンカーズ、the OUT、Pyano、カノン、カウンターカルチャーバンド、他多数のバンドに参加。現在はThe Ding-A-Lingsを率いる。
 
※12リョウ
川田良(かわだ りょう)。ギタリスト。SYZE、午前四時、ジャングルズ、フールズ、パンツで本領を発揮した。音楽と酒を愛した破天荒な人物であった。
 


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