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あさのうた

朝の霧のなかで、触れる。

世界がまだ輪郭を持たない、

時。

霧がすべてを包み込み、言葉のない静けさが広がっている。

足を踏み出してく。

すると、音のない波紋のように霧が揺れる。

それが元に戻るまでの一瞬、
僕は確かにそこにいたと感じる。

手を伸ばす。

冷たく。

柔らかく。

掴めない。

世界が指先をくすぐる感触が、どこか懐かしい。

ああ、そうだったのかもしれない。

幼い頃、朝の湖で遊んだときのことをふと思い出す。

水面を撫でる指の感触。

凍てつく霧にかくれたカモメの声、だろうか。

どこまでも広がる静かな白のなかにいたあの時間。

あのとき

僕は、

今よりもずっと素直に。

世界の曖昧さを受け入れていた。



ぽつん、ぽつん。

霧が肌に触れるたび、
過去の記憶がひとつずつ滲み出る。

言葉にする前のなにかが在りそうなぞわぞわする感覚、

名前をつけなかった気持ち、
すべてがこの霧のなかに溶け込んでいる。

やがて、光が差し込みはじめる。
少しずつ霧が晴れ、
風景が輪郭を取り戻していく。

思い出もまた、霧とともに消えるのだろうか。

それとも、この指先に残った微かな冷たさのように、
どこかにそっと留まり続けるのだろうか。

ひとつ深く息を吸う。

言葉になる前のまえの情景を見た記憶を抱えて。

僕はまた、今日という朝を歩き出していく。

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