汚れがついて、つけてしまう気がするのがイヤだ
今日は車の掃除をしてみた。
カウンセリングで悲嘆や喪失でひどいときには行動活性化が有効と言われたことを思い出した。
とにかく寝ていてはだめだということはわかっている。
先日、なんとかクリニックに行った際、手を拭きまくったので、助手席の足元は下が見えなくなるくらいのゴミで埋めつくされていて「これで汚れがイヤなんて、よく言えたもんだよ」と思います。
食べかけのおにぎりがそのまま投げ捨てられていたり。これはヤバ過ぎですよね。強迫症の認知が間違いなのは頭ではわかってるのに、自分の決めた決まり、つまりスッキリするために、どう見てもおかしいのにその行動を優先するなんて、生活に負荷がかかりまくりですよ。
11月くらいに、車のルーフにあるキャリアに蜂がとまっていて、キャリアについた水滴を飲んでいたのずっと飛んでいかなくて、それが気になったんです。その部分に毒がついてたらどうしようって。掃除してたら雨だったからかルーフから水がたれてジャケットについた。
もう2ヶ月くらい前のことだし雨も降ったし、そもそもついてないだろうし。と思いつつ結局着替えてしまった。また洗濯が増える。
そして今もなぜか着替えたジャケットの袖口にその汚れがズボンのポケットから移ってついてるんじゃないか、と思ってる。
読んでる人はもはや状況がわからないでしょう。
いいチャンスだ。もうしばらくこのジャケットを着ていよう。
でも、自分が耐えられても、もうひとつ不安はこのジャケットから誰かに汚れが移っていく不安、そしてそれを黙っていていいのかという不安もある。
どこまでまじめという独りよがりなんだよ。
見えない汚れは汚れじゃない。だから今、何も問題ない。これが正しい認知であり事実。
事実従え、自分。
今日はこのジャケットを着続けてやる。