今日投稿すれば202日連続!続けられてすごい!とのこと
これから氷室冴子の小説『海がきこえる』の読書感想文を書く。
いや、読書感想文というより妄想または自分勝手な思い込みに過ぎない。
それは普段と変わらないが、いつにも増して変だから読まぬのが吉だ(←じゃあ書くなという話だが、書かずにはいられないのだ)。
書こうと思った発端に触れる。
きっかけは”44歳差不倫”報道だった。
東京都立大学教授(当時)で社会学者の宮台真司(敬称略。氷室冴子には付けようかと思ったけど、まあいいや。全員省略だ)が写真週刊誌に44歳年下の地方国立大学に通うファンの20歳女性と都内にある2時間3000円のラブホテルに一緒に入っていく様子などをすっぱ抜かれた一件である。
これだけだと『海がきこえる』の話にはならない。次の段階を経由する。
激安ラブホ利用者(64)は写真誌の取材に対し「相談に乗ったり取材をしていた」と釈明したようである。これを受け世間は様々な反応を示した。「言い訳乙」「ダサ」「襲われた傷を舐めてもらう礼に襲う」等ある中で、講談師六代目神田伯山のコメントが目を引いた。
「初笑い。日本を明るくするニュースだよ」と大喜び、と報じられていたのだ。この頃は正月の大地震の被害に日本中が落ち込んでいた。それが初笑いというコメントになったのだろう。
神田伯山のコメントは彼のラジオ『問わず語りの神田伯山』内での発言のようである。そのラジオを私は聞いていなかった。インターネットの記事で知ったのだ。東スポの記事だった。以下に引用する。
↓(記事そのままではなく、一マス空け等を修正している)
伯山は「いいニュース飛び込んできて。本当にいいニュースだなと思ったのが『宮台真司不倫』っていう。これがもう本当に初笑い。日本を明るくするニュースだよ、これ。いい写真だったな~世間的には宮台真司キモいみたいになってますけど、僕はこれほのぼのニュースととってます」と大爆笑。
関心を示したのが、同誌に掲載された記者とのやり取りで「記者かなんかに質問されて、『3時間ぐらいホテルにいた』って言うんだよ。これがいいのがさ、キッチンカーでケバブ丼持ち込んでんだよ。若い! ケバブ丼食いながら! で、質問されて『何やってたんですか?』って言ったら、やること一つじゃないすか。それに対して宮台真司さんが言ったことが『彼女も悩んでたみたいなんで』『進路選択について幼少期の家族関係に由来する人間関係についての願望水準低下をどう克服するかの相談です』…。嘘つけ! っていう」と大喜び。
どうやら「幼少期の家族関係に由来する人間関係についての願望水準低下」というワードがかなりツボだったらしく、その後も事あるごとに連呼し「ものすごい煙に巻こうとしてるんだけど『煙が独特』っていう。煙がオモシロすぎて、不倫よりもそっちの煙にいっちゃうよね」とはしゃぎまくっていた。
↑
典型的なコタツ記事だが、笑った。
2時間3000円のラブホに持ち込んだケバブ丼を仲良く食べる44歳差不倫カップルの姿が自然と浮かび上がる。良い記事だと思う。
別の思いも私の脳内に湧いてきた――どうして神田伯山は、これほどまでに股間が盛り上がっているのか、と。
間違えた。股間の部分は各自カットをお願いする。あるいは「股間が盛り上がって」の個所を「はしゃぎまくって」に訂正していただこう。
つまり、こういうことだ。
若年性EDに悩んでいた神田伯山の股間が、いかにして力を取り戻したか?
股、間違えた。
また、の間違いだった(←しつけえ、さっさと話を進めろ!)。
私が不思議に思ったのは、このネタが「そんなに凄いかなあ」という点だった。話題にはなる。しかし他のネタ、例えば『松本人志に文春砲』とか『一平はギャンブル依存症で大谷の金を横領してクビになった』に比べると弱い。一般の人は、そこまで関心や興味を示さないと思う。とはいえラジオで話すネタがないときは十分に使える題材だ。だから私は「ずいぶんと過剰なエネルギーを使って話しているなあ。何か引っかかるけど、まあいいや」と流していた。
その流れがピタッと止まる。中日新聞Webを読んだためだ。
神田伯山が長久手のジブリパークを訪問した際の記事だった。
またまた記事の一部を引用する(肝心のジブリパークの部分はカット)。
ちなみに、ここで「股々」と阿呆なことを書かなかったのは理由がある。
本論に突入するからだ。
↓
好きなジブリ作品は「海がきこえる」(1993年)。
↑
神田伯山はアニメの『海がきこえる』が好きだった(他に好きな映画は『リリイ・シュシュのすべて』だと彼のWikipediaに書いてあった)。
腑に落ちた……気がした。
何が?
神田伯山が『宮台真司不倫』に強く反応した点だ。
宮台真司は文庫本の『海がきこえる』の解説を書いている。
彼は面白いことをいっぱい書いているが、引用するのは一部だ。
↓(前略、294ページ)
【アニメ版よりも遥かにスゴイ原作の秘密】
しかし正直言うと、アニメ版は、氷室冴子さんの原作より退行していると思っていました。例を一つ。大学生になって東京に戻った里伽子が高知の友人に「東京にね、わたしが会いたい人がいるんだ。その人はね、お風呂で寝る人なんだよ」という原作にないシーンがあります。この予定調和(男の子にとっては救済)が、原作の魅力を削いでいます。
↑
若年性EDに苦悩し死まで考えた十代の若者にとって、ヒロイン武藤里伽子の言葉は救済になりえたと思う。女と二人で広いダブルベッドをギッシギシ鳴らさず、自分独り狭い風呂桶の中で体を縮めて寝返りを打つたび浴槽に頭や膝をゴッツンゴツンぶつけては痛さのあまり、
「いてぇ……!」
と叫んで目覚める本作の主人公、杜崎拓を里伽子は内心、どう思ったか?
「わたしに手を出さないなんて、こいつ、インポじゃねえの」
そうは思わないかもしれないけれども、散々な目に遭って傷心の里伽子を思いやり散々な夜を過ごした杜崎拓に対し「この鈍感野郎! 誘ってんのに気付けよ! 女に恥をかかせるなボケ! 臆病者の根性無し! 死ね!」とも思わなかっただろう……と考えたが、実はよく分からない。彼女が友人に言った言葉に真実があるとすれば、途轍もなく悪い印象は持たなかった、といったところだろうか。やはり、よく分からない。
若年性EDに悩む青年がアニメ版における里伽子の言葉に救われたのかも、よく分からない。症状の改善は他に理由があると考える方が自然だ。彼が『海がきこえる』文庫本の解説に目を通したのかどうかも知らない。読んだとすれば、その書き手である宮台真司が『彼女も悩んでたみたいなんで』『進路選択について幼少期の家族関係に由来する人間関係についての願望水準低下をどう克服するかの相談です』と言ったことに対して「嘘つけ!」と罵り、私からすると必要以上のエネルギーを消費してネタにしていた理由が、何となく察せられる。心の防御反応だ。宮台真司が杜崎拓のように独り浴槽で寝る男ではなかったことに対する失望感を払拭するための自然な感情の動きだ。それなら納得できる。
しまった。
『海がきこえる』の読書感想文を書くと言っておきながら、実情は宮台真司の”44歳差不倫”と神田伯山の若年性EDについて熱く語るだけで終わった。ここまでに異常なほどの時間を食ってしまった。同じ食うならオッサン二人より20歳女性が良い。キッチンカーのケバブ丼でも良い。
腹が空いてきた。食事を摂るので、書き物は終わりだ。
『海がきこえる』の読書感想文は、股の機会にする。
間違えた。
魔羅の機会にする(←おいおい)。