『路上(ジャック・ケルアック著,福田実訳,河出文庫)』読書感想文その一(その1)の続きだから、その二(その2)

 前に書いた読書感想文の続きなのだが、その二(その2)と書くのは少々おこがましい気がして、入力する指が少し止まっている。何が恐縮なのかと申し上げれば、まだ読み終えていないからだ。読み終えてから書け! と自分でも思うが[投稿]のボタンを押すと[連続投稿の継続]の項目に[4ヶ月 12月31日まで]と出てきて、そのたびに「何か書かないと、もったいない」と貧乏性あるいは気の弱い部分が刺激される、または何かしら神経に障るものがあってイライラするといった理由で、読了していないのに何かしら書かねばならない心境となり「それなら例のアレの続きを書くか」と相成って今、指を動かしている。
 蒸気の文章で【何かしら】が続いているのは、そのことに気が付いたけど訂正するのが本書の感想文にそぐわない気がして、である。つまりライブ感覚を重視したからだ。嘘だ。面倒臭いだけである。だが、直すのなら二つ目の「何かしら」を書き換えるのが正解だろう。「何かかにか」はどうだろう? と検索してみたら、そんな言葉は無かった。それでも「何かカニか」の変換は出てきた。なんでやねん。グーグルのサジェスト機能では「なんかかんか」とある。これでいい。「または何かかんか神経に障るものがあって~」で行こう。すみませんですけど各自、そう読み替えてください。
 ちなみに、読み終えられずにいる理由も、神経に障る事柄があったからだ。第1部を読み終える直前【カミールはアパートを見つけていた。(156ページ)】を目にして「あれ、カミールって誰だっけ?」という疑問が湧き上がり、最初から読み返すという失態をやらかした。やらん方が良かった。分からないことがあると気になってしまう性分なので、他の本でも似たような作業をやっているのだが、本書のカミールはなかなか登場しない。そのうち面倒になってきた。「まあ、いいや。続きを読もう」という境地に達し第2部を読み始めたらカミールの名前が出てきた。「前のカミールは、どうだったっけ?」となって、また最初から読み始める。そのうち人から勧められた本も読まねばならなくなった。難しそうな内容ですから読みたくないです、とは事情があって断れない。やむなく読み始める。色々な文字情報が脳内で重なり出す。積み重なって重層化された記憶の欠片の中でカミールが私を読んでいるような気がするものの、やらねばならんことが山積しているのにいつまでもカミールに拘り続けるわけにもいかず、とはいえ気になるには気になる……と気に病むうちに神経の疲労が重なり真景累ヶ淵っぽい状態に陥ったのです。嘘です。
 第1部の感想を書くべきかな、と思う。だが、そのためには第1部を、また最初から読み返さなければならないような強迫観念が湧いてきて、息苦しくなる。一字一句を追いかけるだけでは足りぬ。行間を読んで初めて、読者は筆者の心に触れることができるのだ……とか書いてみましたが、そこまでやらんでもよかろう、とも思います。そんなことを書いているうちに夜も更けてきました。色々と書きたいことはあるのですが、それは次回、来年になって[投稿]のボタンを押すと[連続投稿の継続]の項目に[5ヶ月 1月31日まで]と出てきて、また気分が苛々してきたときに書くとします。書くネタがないわけじゃないっすよ! 実は読んでいないんです(おいおい)。


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