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無条件の愛から生きる力が生まれる

noteやXで精神疾患を持つ人の投稿を見ていると、病気のせいで何も出来ない自分に価値を感じられず苦しんでいる人が多い。

無価値な自分に嫌悪感を持ったり自虐的な言葉をぶつける人がいる。
自分に優しくしたいけど無価値な自分にその資格は無いとか、無価値な自分を愛してくれる人なんていないとか言う人もいる。

まあ総じて、価値を創造できる人間(有り体に言えば、働いて社会に貢献できる人)という条件を満たさないと愛は貰えないと思い込んでいる。

症状でそう思い込んでいるのか、元々そういう考えだから病んでしまったのかは分からないけれど、『条件付き愛情』って毒親の大好物だなと思う。

人間は本来、何も出来なくても愛されるものだ。
赤ん坊や子供は無力だけど、親に大事にされて成長していく。
ご飯を食べさせてもらい、甘えたい時はスキンシップをし、病気になれば心配されて手厚く看病される。

ところが、子供が病気をすると嫌そうな顔をする親がいる。怒る親もいる。うちの父親がそうだ。

そういうのに育てられると、病気を必要以上に怖がったり、症状や痛みに敏感になったりする。

自分は少し頭痛がしたり倦怠感を感じただけで、メンタルがダダ下がりする。鬱の底に転落してしまうこともある。

体に痛いところがあると癌じゃないかと恐れたりもする。ただの口内炎も自分にかかれば「口腔癌の疑い、要精密検査」である(汗)
もちろん実際に罹患したことはなくて、耳鼻科で口内炎用軟膏をもらえば、2日くらいで治ってしまうのだけど(笑)

会社などで、軽い調子で「今日頭が痛くてさ〜」とか言いながら、平然と仕事をしている人を見たことがあると思うが、それが子供の頃にちゃんと心配されて手厚く看病されてきた人だ。
病気になるのが悪いことだと思っていないので耐性が強い。

病気に限らず、勉強や習い事の成績が少しでも下がったり、日常生活で親を敬う態度が不十分だったりなどで過剰に怒られてきた人は、そのような「条件」に敏感になる。
そして「条件」を満たせないと駄目人間の烙印を自ら押すようになり、失敗を恐れる臆病な大人になってしまう。

大事なことなので2回言う。
人間は本来、生きているだけで愛されるものだ。

そして無条件に愛され大事に育てられた人は、頭痛が平気な人のように、生きる力が強い。

毒親育ちの人も、そうでない人も、無価値感に悩むのは順番が逆だ。
価値を生むから愛されるのではなく、愛されるから価値を生む力が湧いてくるのだ。

まずは自分を愛し大切にする。何も出来なくても蔑まない。病気なんだから無理をしない。
気合いや根性なんて、勝負処で限界を超えた力を出すために使うものだ。
日常生活や毎日の仕事で使ってたら、あっという間に壊れてしまうよ。
理解の無い声に耳を傾けてはいけない。

自分がうつ病の割に元気なところがあるのは、嫁さんと子供たちに愛をもらっているからだ。

うつ病で働けなくなった時、嫁さんは「病気は仕方ない」と文句一つ言わなかった。今も体調を心配してくれている。とてもありがたく幸せなことだ。

一方でうつ病が治ってしまわないのは、自分の深層心理の求めているものが、幼児的依存心を満たしてくれる「母の愛」であるからだろう。

嫁さんがくれるのは「夫婦の愛」あるいは「大人の男女の愛」だ。
子供たちの愛は当然、父親としての自分に向けられたものだ。

まあ、いい年して母の愛を求めるのもキモい話だし、そこの欠落は自分の力で埋めるしかない。
引きこもり専業主夫で1円も稼いでいないが、自分を蔑んだりはしない。
無二の親友のように、赤ん坊の頃の娘達のように大事に扱う。

そして何もかもに恵まれている人などいない。
自分はたまたま親の愛に恵まれなかった。
その分は自分で満たす。
それが自立。

愛というのは不思議なもので、親から貰っていなくても、なぜか自分の子には与えることが出来る。元々は他人であった配偶者にも。

だったら自分自身に与えることも出来るはずだ。
無価値な人間などいない。
自分を愛そう。
生きていこう。

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