『私の盲端』朝比奈秋著 朝日新聞出版 レビュー
▶今日のひとこと
駅前を通りかかったら、カップルが手を繋いで笑いながら急げーって、駅の方へ仲良く走っていった。丁度イヤホンから米津玄師のlemon。しみじみと失恋を歌っているのが聴こえていて、なにかの恋愛物語を走馬灯のようにみたような感覚に…笑
今回レビューする『私の盲端』も不思議な感覚が身体の内側にはいってくるような読み心地だった。
『私の盲端』朝比奈秋著 朝日新聞出版刊
▶あらすじ
人工肛門を造設した女子大生涼子の、ストーマと共に生きる日常を描いた表題作他一篇。自分の排便が腹の上で行われる日々を淡々と衝撃的に描く。
▶感想(⚠️多少のネタバレあります)
著者の朝比奈氏は現役医師。消化器系の外科医だと記憶がある。ストーマ(人口肛門)についても豊富な専門的知識が土台になっていることがわかる。
とはいえ医師と患者の立場ではみえる世界が大きく違う。しかも視点は女子大生涼子だ。
著者の芥川賞受賞作『サンショウウオの四十九日』を読んだときにも全く同じことを感じたのだが、朝比奈作品主人公の女性たちは、なんの違和感もなく女性だ。男性作家の描く女性からはここまでの感触を感じることはほとんどない。それくらいまろやかに女性性をキャラクターに溶けませている。
そうして涼子の目からみた日常のなかに、ストーマをつけるという非日常が生々しく語られる。
バイト先の飲食店で提供される、コックの汗やらなにやらが混じった様な、なんでおいしいのか分からない食べ物を、ストーマをつけ排便するのを隠しながら給仕する涼子。
バイト先の面々の品のない言葉やらセクハラめいた行為、涼子がストーマであることを目敏く見つけてナンパしてくる同じくストーマである京平など。
それらの人々、食べ物などがすべてがまざりあって、読んでいる人間の内蔵から揺さぶってくる感じ。そこに性までもがどろりと溶け込んで、生々しさが最後まで心を攪拌してくるよう。
淡々とした文章なのに、身体の内側から揺さぶってくるこの感じ。医師として医学知識を土台にしながら、はっとするような斬新な切り口や感性をたっぷりふくんだ朝比奈作品を読む度、驚嘆するしかない。
ただ『サンショウウオの四十九日』でも感じたのだが、ほんのひとかけら他人事感。それを本作でも感じてしまった。
登場人物に対して作家自身の個性が多少滲んだり同化までする場合もあるが、著者は自身とは切り離し、冷静に観察しているのを感じる。
そうして、そこまでやるか? ということを主人公にやらせることに躊躇いがない。それくらい衝撃的な行為が後半、描かれているのだが、主人公涼子もどこか淡々とそれを受け入れてしまっている。そういった客観性は朝比奈氏の持ち味であり、彼の書き手としての武器でもあることは理解しているつもりだ。
ただその行為に対して、涼子は女性として本能的に、葛藤や恐怖といった負の感情をもう少し持ってもいいのではないか。そうした段階を経て、次第に違う感情が派生してくるのなら、理解できるのに。女性として、人としての感情の動きがクライマックスで希薄になってしまったように感じて。微かにもやもやしてしまった。
とはいえ朝比奈氏の作品は、癖になるような魅力がある。簡単には読めない、読ませてくれない(本作も何度も休憩しながら読んだ)けれど、また読んでみたいと思わせる作家さんなのは間違いない。
※表紙画像使用につきましては、朝日新聞出版様に使用方法の確認をして載せております