改めての自己紹介
noteを始めて約2年経ちました。
改めて自己紹介をしたいと思います。
辿り着いて頂いた皆様、見付けて頂きありがとうございます。椿いちかです。
私は、かつて
父親が母親に暴力を振るうDV家庭で育ち
体調が優れない母親の代わりに日常的に家事をし
夜中にミルクをあげたりオムツを替えたりなど、年の離れた末の妹の世話をし
両親の離婚後は
養育費の不払いや母親の就労問題にも直面し
ずっと経済的に苦しい環境で
15歳から家族を経済的にも支えてきました。
こういう状況に置かれた子どもを「ヤングケアラー」という、という事を、つい数年前に知りました。
私はずっとヤングケアラーとして生きてきました。
「ヤングケアラー」の置かれている環境というのはとても複雑です。ヤングケアラーの家庭は複数の課題を抱えていると、実体験として感じています。そして、それらが複雑に絡み合って、そのシワ寄せがヤングケアラーを生んでいると、大人になった今、思うようになりました。
私の半生は、客観的に見ると波乱万丈で、ネガティブな要素が多い感じがするんですが
その環境の中で、必死に生きてきた毎日で、少しずつ培ってきた価値観は、
今となっては、私だけの唯一無二の魔法の武器で、魔法の眼鏡です。
私はいろんな事を、その武器で切り開いてきたし、その眼鏡をかけて見ています。
今まで書いてきたnoteも、実はそういう視点で見てきた事を書いています。
今まで、自分がそういう環境で育ってきたとオープンにしていなかったし、敢えて言う必要も感じておらず、何となくごまかして書いてきました。
でも、もう、そんなに隠さなくて良いかな、と。
どうして私が
「子どもは子どもらしくいてほしい」とか
「親が完璧じゃなくたって、周りの大人達全員で子どもと関わっていけばいい」とか
「ちょっと怖いけど、何歳からだっていろいろチャレンジしてみても良いのではないか」とか
「肩書きだけで威張っている大人が滑稽に見える」とか
「暴力が心の底から大嫌い」とか
「子ども達との何気ないやりとりが、たまらなく愛おしい」とか
などという事を思うのかというと
私がそういう人生を歩んできたからです。
その中で培ってきた私だけの価値観があるからです。
普段の私は、地方在住の、ごくごく普通のアラフォー女性です。
東京生まれ東京育ちですが、結婚を機に夫の故郷に移住し、年子の女の子と男の子を育てている、普通の母親です。
日々働きながら、趣味で時々着物を着て、手芸をして、義父母の畑を手伝っています。
基本的に、私のnoteはゆるゆるとした内容のモノが多いです。
子育てとか、田舎暮らしとか、趣味の着物や手芸の事とか、そういった内容の事を書いています。
でも、これからは、ちゃんとヤングケアラーだった事も、時々は書いていこうと思います。
私がヤングケアラーだった事を書くことで、
いろんな人達に
「ヤングケアラーとは何か」とか
「どうしてヤングケアラーが生まれるのか」とか
「家族」という言葉に苦しむ子がいる事とか
「強いね」という言葉の残酷さとか
そういう事を伝えられたらと思っています。
そして、そういった子たちが、
声を上げられないだけで本当にごくごく身近にいるんだと、多くの人に気付いて貰いたいと思っています。
普段は本当にゆるゆるとした気の抜けたnoteを書いていますので、
物凄くギャップがあるかと思いますが
それも私なので。
困難な環境にいた事がある人が、ずっと険しい顔をしていなきゃいけない決まりなんて無いでしょう??
楽しくしたって、笑ったって、怒ったって、泣いたって、ぐうたらしたって良いんだよ。
そういう事を、私のnoteで伝えられたらいいな。