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日本野球の歴史#6
話を本題に戻しましょう。
昭和十一年に大阪タイガース、セネターズ、阪急、金鯱、大東京、名古屋の六チームができ、昭和十二年にイーグルスが加わりプロ野球が発足しましたが、翌年の昭和十三年、南海が加盟して八チームとなりました。
戦後の八チームとは以下です。
読売ジャイアンツ、阪神タイガース、東横セネターズ、阪急ブレーブス、中日ドラゴンズ、太平パシフィック、金星ゴールドスターズ、近畿日本グレートリング。
プロ野球の盟主 正力松太郎は二リーグ制の腹案を持っていたらしい。
阪神創立からのメンバーで球団経営にも携わっていた松木謙二郎氏の著によりますと、先ず十チームにし、十二チームに増やし、そこで二リーグにして最終的には日米決戦に臨むことのようでした。
昭和二十四年八月二十七日に当時の八チーム代表が毎日の加盟を討議しております。
同年九月十四日には近鉄、同月十九日には西日本新聞、同月二十一日には毎日が正式に加盟願いを提出し、二十四日に林兼商店(大洋漁業)、二十八日に広島と星野組と続きました。
それぞれに思惑があり、収拾がつかずその後分裂となりますが、阪神が巨人と組む意向が判り、大阪に三チームは不要と発言しておりました阪急と南海が他へ廻ることになります。
十一月二十六日、阪急・南海・大映・東急のパシフィックと巨人・阪神・中日・太陽のセントラルに分かれる事になります。
セントラルリーグは大洋ホエールズ、西日本パイレーツ、広島カープ、国鉄スワローズの加盟で八チームとなり、パシフィックリーグは毎日オリオンズ、近鉄パールズ、西鉄ライオンズ、高橋ユニオンズ(昭和三十年に結成のトンボ)の加盟で八チームとなりました。
セネターズは有馬記念で名高い久留米の殿様、有馬頼寧伯爵をオーナーとして発足しました。
大下弘の伝記を書いた辺見じゅん女史によれば、この殿様が名付け親で、古代ローマの元老院議員をセネターと呼ぶことからこれを採ったとありますが、筆者はタイガースやブレーブスと同じく大リーグのワシントンセネターズを真似たものと思っています。