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戦後の日本をぶらつく③(ストライキ・憲法・学校)

ストライキ
 戦後、思想犯や政治犯は釈放されましたが、この人たちの所為ではないのでしょうが、デモとストライキが横行しました。
 初めのころはカタカナに馴染めず同盟罷業と言いました。
 学生もストライキを行いました。体罰主義・右翼主義の教師を排除しようとしたもので同盟休校と言いました。

 昭和二十二年二月、官公労がゼネストを決行するというので世間が大騒ぎしましたが、前日にGHQの鶴の一声で中止されました。
 中止に至った経過や経緯を官公庁共同闘争委員会の伊井弥四郎議長が涙声で、くどくどラジオ(NHK第一放送)で喋っていたのが印象的でした。

 
憲 法
 戦後翌年の昭和二十一年十一月三日に、欽定憲法に替わる新憲法が公布されました。
 そして半年後に施行。これにより旧エスタブリッシュメントは舞台から去ったのです。宮家と華族が没落したのもこの時期です。

 
学 校
 文部省ができたのは明治五年でした。
 この年に学校令が公布されましたが、いろいろ制度が整うのはずっと後のことです。
 ただ大学は明治二年に幕府の学問所に開成学校を合わせて大学校としました。人文科学系を大学南校、医学系を大学東校と呼びました。
 

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