光源氏はマザコンだったのか?
現在でいうマザコン、とは
「とにかくママが一番好き!」
という男のことを指し
結婚して妻を娶っても
「ママ(姑)が一番だい好き!」
「なんでもママ(姑)の言いなり」
という男なので
妻でもあり嫁でもある身としては
ガマンならない話であって
これが原因で離婚問題にまで
なるケースも少なくない。
源氏物語の主人公である
光源氏が「マザコン」である、
とよく揶揄されるのは
大きく2つある。
1つ目は
光源氏は作中で、3歳の時に
母親を亡くしている。
それゆえに
光源氏は恋した女性らに対して
生涯、母親の面影を
追い求める続けた。
↑
これが原因で
あれだけイケメンで
あれだけモテて
あれだけ多くの女性と浮名を
ながしたにも
関わらず、
光源氏は
妻として生涯を共にし
愛し抜く
といった「フツーの幸せ」すら
手に入れられず
出家して、孤独に生涯をとじた。
↑
これをして
「光源氏はマザコン」
という根拠にされていること。
もう1つは、
これは
源氏物語の中でも
最もヤバいエピソードなのだけども
光源氏の母親である
桐壺更衣を生涯愛し続けた
父 桐壺帝 は
長らく、後ぞえの后を持たなかった。
つまり、なかなか最近しなかった。
けど桐壺更衣とよく似た女性が
いる、とききつけて
桐壺帝はこの女性と再婚する。
名を藤壺という
問題なのは
光源氏が
父親の再婚した相手の藤壺
(亡くなった母親によく似ている)と
セックスし妊娠させる。
そして男の子を出産し
その子は後に天皇、冷泉帝になる。
光源氏と不義の結果
産まれた子なのに
光源氏の父親、桐壺帝は
自分の子だと信じて疑わず
溺愛する。
↑
この話は
源氏物語でも最も
スキャンダラスな
エピソードであり、
普通、高校で習う古文では
取り上げられない。
さすがに、これはマズい話
と思うのだが
「亡くなった母親の面影を
追いかけ続けた結果
父が再婚した相手とセックスして
妊娠させてしまい
その子はのちに天皇になった」
↑
これをして
「光源氏はマザコン」と評するのが
2つ目の根拠である。
私なんかは
源氏物語の
これらのエピソードを
見ていると
光源氏というのは
紫式部の
苦悩を自己投影した
キャラクターなのではないか?
と、つい思ってしまう。
紫式部の苦悩、それは
貴族社会を生き抜くことの
難しさ
引いては、そこからくる
「生き辛さ」なのではないか、と?
源氏物語では
主人公の光源氏は
3歳で母親を亡くすが
作者である
紫式部も
3歳で母親を亡くす。
原因は出産後の体調不良。
平安時代、出産は
命懸けの一大事業だったのだ。
平安時代を生き抜く
「生きづらさ」は
女房(現代でいうと女官)の
先輩にあたる清少納言の
人生の成功と没落を
紫式部自身は
割と身近に見て生きてきた
っていうのも
かなり大きい。
清少納言は女官として
中宮定子に初めて会った時のことを
「世の中にはこんなに素晴しい人が
いただなんて!と思った」
と自著「枕草子」で述懐している。
そして
「なんとしても中宮定子 さま が
天皇の后になれるよう、
全身全霊でお仕えしよう!」
と清少納言は
心に誓ったのであった。
その甲斐もあってか
中宮定子 は 天皇の后として
一条天皇 の 寵愛を
一身に受ける。
が、中宮定子は
一条天皇の2人目の子を
出産する時、
難産が原因で亡くなる。
紫式部は
自分の母親を亡くした時の事を
思いだしたことであろう。
そして
中宮定子は
藤原道長からしたら
自分の兄、藤原道隆の娘である。
天皇の后であった
自分の娘が亡くなると
道隆の一族も没落していった。
当然ながら
清少納言も没落し、
惨めで、わびしい余生で生涯を終えた。
そういうのを
紫式部は間近で見聞きして
知っている中、
藤原道長から
「俺んとこの長女を
一条天皇の後妻として
入内させたいんだけど
アンタ、教育係として
娘に仕えてくれないか?」
と
頼まれたのが
紫式部である。
どう身を処するか、
思い悩んだであろうことは
想像に難くない。
源氏物語は
ラブストーリーではなくて
生き残りをかけた
サバイバル ストーリーだ
と私が考えるのも
これが原因である。
亡くなった中宮定子のことが
忘れられず
再婚をしぶりまくる
一条天皇の
考えを変えさせたのが
紫式部の書いた
源氏物語の冒頭部分である。
現代語訳するならば
どの代の天皇の治世の時
だっただろうか?
宮中には沢山の
女御(天皇の后)
(当時は一夫多妻制だった)
や、それにお仕えする
女官たちがいる中で
天皇からの寵愛を
一身に集めていた
女性がいた。
↑
これで始まる源氏物語の書き出しで
フィクションとは
わかっていても
モデルになっているのは
一条天皇と
中宮定子のことで
あろうと、当時、皆が気づいた
ハズだ。
多くの人々の心を
鷲掴みにし、魅了した。
その後、
一条天皇は
中宮彰子を后として
迎えいれ
さらに、中宮彰子は
天皇となる
男児を出産した。
これで
藤原道長の天下になるか?
と思いきや
そうはいかなかった。
一条天皇のあとに即位した
三条天皇は一条天皇より
年齢で言えば
年長者であった。
つまり
「天皇になる資格がある立場で
ありながら、天皇になるのを
やたらと待たされた」立場であり、
しかも権力志向が
やたら強い。
「あれだけ待たされて
せっかく天皇になれたんだから
自分の思いのままに政治を動かしたい」
つまり、
「藤原道長の
言いなりになるだなんて、
まっぴらゴメンだね」
というのが
三条天皇のホンネ。
そういう背景があって
藤原道長と
三条天皇との対立は
激化してゆく。
ここからが本当に
藤原道長の恐ろしい
トコロの話であって
三条天皇は眼病にかかる。
政務に支障をきたす、との理由で
道長から再三にわたり
退位を迫られる。
そして三条天皇は
天皇を退位後に
完全に視力を失い
失意のうちに亡くなる。
「道長の手の者に毒を盛られたのでは?」
とする説もある。
「藤原道長と対立した結果、
全てを奪われ失ったのが
三条天皇」
というのは客観的にみて、正しい。
この結果、
中宮彰子の子が
後一条天皇として即位した。
これにより
藤原道長は天皇の祖父
ということになり、
また、摂政という地位も
手に入れ
権勢は絶頂に達した。
中宮彰子に仕えた
紫式部としては
中宮彰子の父、
藤原道長は上司であるから
亡くなった中宮定子を
想い続ける一条天皇を
モデルに
桐壺帝という登場人物を
源氏物語に登場させることは
できても
三条天皇の転落
をモデルにした
登場人物を源氏物語に
登場させることなど
到底できないことであった。
そこで紫式部は源氏物語で
桐壺帝の後妻と
光源氏がセックスして
結果、生まれてきた子は
天皇になるけど
実父は光源氏、
という苦肉の策を
取ったのではないか?
と私は考える。
源氏物語というのは
貴族社会を生き抜いていくことの
難しさに苦しんでいる
紫式部の悩みが
随所に出ているように
思われる。
だから
「光源氏はマザコン」という
説に
私は反対である。