髪の毛抜きまくっていた時の話!と、最近の読書
先ほど、呟きで髪の毛を抜き続けていた時期があったことを書いた。
異常だったよな…と思うので、もう少し詳しく書いておく。
あくまで私のメモであり、また、髪の毛を抜くという自傷行為が出てくる為、読む方がいらっしゃれば注意してください。
今でも歪んでいたり気に食わない髪の毛はいくらでもあるけど、当時は髪を綺麗に見せたいという理由で抜いていたわけではなかった。
ちょうど大学3年〜新卒あたりの時期で、不眠症を抱えていた時期と重なるので、
眠れないことに加えて、何か自分の中で楽に達成感が得られる行為だったのではないかな〜?
くらいにしか今となってはわからない。
わからないのだ本当に。なぜこんな行為をしていたのか。
幸い、私は髪の毛が多いタイプで、いくら抜いても禿げ上がることはなかった。(と思う。覚えてない。)
これをいつどうやって克服したのかもわからない。
少し調べただけだが、抜毛症という名前がついている事と同時に、投薬による治療、認知行動療法による治療があるらしく、本来であれば医療機関に行くべき症状である。
もちろん、当時は病気だなんて思っていなかったので、来院することはなかった。
仕事を変えて生活が落ち着いたあたりで、ストレスが減り、睡眠時間が十分になった事と共に減少していったのではないか?
現在は時々歪んだ毛を偶然発見した時に面白半分に抜くくらいで、深夜3時まで歪んだ毛を捜索することはない。
今こうやって思い出しながら書いてるだけで、当時の自分の異常さにちょっと引いてしまう。
これを家族や友達に隠して普通ですよ♪という具合に乗り切ろうとしてたのだから歪みに歪んでいる。
会社に行って誰かと喋るだけで涙が出ていたのに、結局、精神科に通っていたこともカウンセリングの為に隣県の大学機関へ通っていたことも、今に至るまで家族は知らない。
仕事がうまくいかなかった時、母親に
「今までの人生がうまくいきすぎていたからバチが当たったんだと思う」と言われたのが辛かった。自分の娘がバチ当たらなきゃ鼻持ちなんねえのか?
おそらく、母自身がドドドドドド田舎の山奥の貧困育ちで、劣等感を多く抱えて育ってきているようなので、その辺りの情緒がうまく機能してないのだろうなというのが最近の落とし所。
母とは普段は良好な関係なのですが、時になんでそんなこと重要なところで言うの??が多く、多分私が自己開示ができない理由はここにあると考えられる。
というわけで今、回避性愛着障害についての本を読んでいる。
回避性愛着障害~絆が稀薄な人たち~
岡田尊司
https://www.cmoa.jp/title/1101062401/
あと70ページくらいで、この愛着障害の克服法の部分にやっと差し掛かったところ。
時に共感、時にもっと早く教えてくれ〜を交えながら、読み進めている。
私が私に対して諦めていたことに、名前がついていたり、研究結果があることはなぜか私を安心させ、今気づく事ができてよかったねと言ってくれる。
少し前までアドラー心理学ベースの『嫌われる勇気』(https://www.cmoa.jp/title/1101027378/)を読んでいたので、こちらとは立場は違った話になるのだが、どちらも良いところだけ取り入れつつ、生活に取り入れていきたい。
だから人は本を読むのかと、今更ながら本という知識の塊に感動している。