他者へのリスペクトと「当事者」
トリエステ病院跡地の一角で不思議な経験をしてきました。
そこには、精神保健局の職員や日本では一般には当事者と呼ばれるのであろう方々も何名かきていました。
ぼくは基本的に円卓会議の類が苦手です。
大学や大学院にいるとそのような場所に座って、顔を突き合わせて話したりすることが多いように思うのですが、妙に緊張するというか、からだが強張ることが多いです。
病院跡地の一角ではじまったプレゼンテーション?も円卓というか四角卓でのそれで、ざっと15名がいました。正確には当事者の方?が連れてきていた大型犬も屋内で四角卓の周辺を自由に歩き回ったり、走り回ったりしていました。
ぼくは不思議とその空間でとてもリラックスしながら話を聴くことができました。病院跡地には緑が多くて窓を開けていると心地よい風が感じられました。部屋も妙にお洒落で四角卓の上にはすこし生きてる植物がいたりもしました。
職員の方がバザーリアや精神保健局、トリエステの話などをしている間、大型犬は忙しなく歩き回ったり、外へと続く扉を叩いたりする仕草をしていました。しまいには、その様子を見かねたひとりが扉を開けてやって犬が自由に外とその部屋の中を行き来できるようにしてやっていました。
ぼくは職員の方の話を聴く傍ら、この円卓、円卓のくせに妙にリラックスできるのはなんでだろう~?とか、忙しなく動き回る犬を注視していたので、扉の件にはとても感動していました。
ともすれば場を乱していた犬は排除されるのではなく、犬が振る舞いたいようにすることを可能にするように周囲の人が自然と取り計らったのです。
その後若い女性が自身の経験談を語り、職員の方が精神保健局の話をする前に視察に来ている面々の自己紹介を聞かせて欲しいと言ってきたので、こちらの自己紹介タイムになりました。
ぼくは周りの自己紹介に合わせて自分が大学院に在籍して社会福祉学を専攻していて社会福祉系の国家資格を持っていることをまず述べて、若い女性の自己語りに触発される形で自分も孤立感が酷くて長年希死念慮がありました~とか軽く話していました。
そして、円卓は人の視線とかもあって本来苦手なのにここはとてもリラックスできるので不思議だ!と伝えました。
もっとも、自己紹介や「自らのヴァルネラブルを当事者として語り出すこと」に伴う緊張で、その場は強張ってましたが…。
ともすれば、「当事者が語り出す」という営みは施設や専門職の都合で、当事者が引っ張り出されて「当事者に語らせる」という構造や構図になっている場合が往々にしてあるように思います。
けどぼくはあの空間において「専門職が当事者に語らせる」というような雰囲気を一切感じませんでした。
専門職の方がスライドを使って話をしている時、バザーリアの写真が映し出された際など、日本ではおよそ当事者とされるであろう女性のひとりは、「バザーリアのお蔭で自分のいまの生活があるから本当に感謝しているんだ!」というようなことを、スライドに基づいた説明を遮って、自分の語りたいタイミングで語り出していた姿などもとても印象に残っています。
ぼくは日本や自分自身の文脈を引きずっているので「自らのヴァルネラブルな部分を語ること」が、その場において「当事者として現われる or 語り出すこと」と同義のように感じられて、若い女性の語りに応答したい気持ちはありつつも、彼女のように、やわらかいトーンで「自らのヴァルネラブルな部分を語ること」ができなかった自分にあとあとふりかえって気づきました。
強張りつつもぼくが自分の話をすこしすると、専門職やその場にきていた普段から自助グループのようなものに通っている女性たちから「話してくれてありがとう」的な反応があったように感じました。
ぼくが言うのは本当にあれなのですが、ぼくは日本の同質性と治療的機能への志向が強いセルフヘルプグループや自助グループの類がとても苦手です。周りの話を聴いていると気分が重くなることがあるし、言ってしまえば全般的に「ぼく自身が語り出す事に対する心理的安全感」をあまり実感できないからだと思います。
そんなぼくですが、あの人たちの中でだったら自分語り、いままでのように「当事者として語り出す」雰囲気もなく、いろいろスラスラ話せるかも?とか思ったりもしました。
職員が説明するスライドの中にバザーリア法の施行後、イタリアの精神保健は「病気」から「人」へ強く注意が向けられるようになっていったと説明がありました。
それはぼく自身、精神科看護に従事する方々と「リカバリーストーリーの語り手」として福岡にきて研修等の場でかかわるようになって、最も興味関心のあるテーマでした。
「リカバリーストーリーの語り手」と言えば、あの空間において経験談を語っていた方々は、やはりぼくがリカバリーストーリーの語り手として語り出す時に感じるような「専門職を前に研修講師あるいは教材として自らを差し出すことに伴う緊張感」のようなものがないように感じられました。
そういう緊張感があの場に存在していたら、ぼくはあんな風にリラックスできなかったと思うのです。
きっとイタリアにおいてバザーリア法のメッカとも呼べる特にトリエステにおいては、「当事者」が専門職向けに「リカバリーストーリー」を語るという行為や実践は日本のそれのようには「政治性」を持たないのだろうなと感じました。
専門職の方は説明の中で日本語訳すると「人として~」というような言葉をしきりに語っていたらしいです。
どんな存在であれ「他者へのリスペクト」がきちんとある社会においては、ぼくが考えるような「当事者」は存在しないのかもしれないな~とか、そんなようなことを昨日から考えていました。
ほかにもいろいろ学んでいること、考えさせられていることなどたくさんあるのですが、残りの視察研修中に、「日本に何を持ち帰れるか」を重点的に考えていきたいと思っています。