関係規定的存在として関係に生き、そのあり様を自ら記述する

イタリア視察中、バザーリア法パラダイム下の精神科医療に長年携わってきた精神科医の方からバザーリア法以降、イタリアの精神科医療では「医学モデルから関係づくり」そして「現象学的精神医学」が重視されるようになったというようなお話を聴いた。

また別の精神科医も「診察は関係をつくる場」だと説明していたのが印象に残っている。

「関係」といえば、自分が長年勤めた自立生活センターでも介助者と当事者が「介助するーされる関係」を超えて、「命を見合う関係」が理念として生き続けていた。

またある時自分が研修講師をやるぞという時、「病気の経験について聴きたい」との事前の要望に対して、ぼくは「病んだ関係の中で病んでいただけ」だとズラして応答していました。

思えば「病的な経験」をただ「病気の経験として語る」という営みのなんとつまらないことでしょう。

以前、意思決定支援(色々考えるのめんどくさいからこの表記で統一)について研究を試みていた際、大学院の同期から「けど意思決定支援を研究しているやそらさん自身が意思決定苦手じゃない?」と突っ込まれたことがあります。

自己決定=自己責任とかめんどくさすぎる。それ以前に本当はそもそも何もしたくない。社会的ひきこもりを名乗って、それを盾に温く生きたい。

最近会った人のうち二人の方とも、「何もしたくないよね〜」「ひきこもりたいよね」などと話し合ってていました。2人とも40代で社会的ステータス高めと一般的にされそうな方々なのですが。

そんなめんどくさがりなぼくに反して、大学時代の友人などは「僕は自分の仕事を社会人として引き受けていますよ。やっぱり組織の中で偉くならないと、自分がやりたいことできそうにないので」と、いかにも大人で爽やかな雰囲気でした。

自分のめんどくさがりなところや無気力な感じは、あるいはトラウマ的なものに由来していて、それがよくなっていけばもっと精力的で活動的な人間になるのかしらん…?などと思っていた時期がありましたが、どうもそうではなくてやっぱりただのめんどくさがりなのかも…と最近思う。

何もしたくない、ひきこもりたいと共感し合ったうちの一人から、「けどやそらさんは自己愛も承認欲求も強いから、何もせずにも生きられないんじゃない?笑」というようなことも言われました。

今回のイタリア視察を経て「自分がやりたいと思えることが見えてきたかもしれない。だから、ま〜たまた急展開だけど、また大移動があるかもしれない…。けどやっぱりいい加減引き受けないと、もう逃げきれんかな〜、直面しちゃったし、やっぱりそういうことかって諦めがついたというか…」とドンドン言い淀んでいくぼくを前に

大学の友人からは、「やそらさんでも引き受けるとか言うんですね、大人になったんですね〜」と褒められ(or 煽られ?)ました。また「自己愛・承認欲求」を指摘してきた方には、「引き受けるってよく言うけど、どういう意味なんだろうね?」というように突っ込ま or 問い返されました。

自分は最近本当に人生、ご縁とタイミングだな〜という想いを強くしているんですけど、だから関係規定的に人生が決まっていく、自分が決めているようで運命ではないけどやっぱりどうしても自然とそうなっていっちゃうみたいな部分があって、そういう「流れ」の中にあって、ただ流されているだけじゃないんだぞと。それこそちゃんと自己決定=自己責任を果たすんだ、これは「自分が選んだ道なのだ」って自覚や責任感を自分自身に促すためにも「引き受ける」とか普段は使わない言葉を敢えて使っているような気がします。

カウンセリングの時に「この件は二、三名位に相談しようかな〜と思っていて」と言うと、「何を相談するの?」とカウンセラーに尋ねられたことが数度あったのを記憶しています。

結論を先取りすると、自分が人に相談したりやたら同じ話を違う人に話したり、発信したりするのは、「自己物語/自分を多声的なナラティヴ/存在として構築する/創り上げる」ためのような気がします。

イタリア視察でこんなことがあって〜で、こういう風に感じてそしたらこっち遊びにおいでと誘われて、本当に大移動するかもしれんのですけど…。いい加減引き受けないといけないな〜とは思うんですよね。

「いろいろあーでもないこーでもないってぶつくさ言ってるけど、やそらさん自身がやりたい!って思ったんだね」

今もって、自分自身が「やりたい!」と思えているのかはわからないけど、そんな「他者から見た自分」を対話を通して知ることができるし、そんな様々ある「他者から見た自分」を受け入れるかどうか採用するかどうか、気にいるかどうか記述するかどうかを含め最終的選択権は本人にある。

自己物語が多声的になっていくだけ豊かに開かれていく、他者とのつながりを実感できる。

「やそらもう31歳なの⁉︎あなたとの付き合いももう10年位か、今度の方向性はなんだか良さそうだし、ここまで頑張って本当によかったね」

記述される言葉が「真実」である必要は全くない。ただその場の雰囲気、そして本人がどう受け止め、それを「多声的な存在としての自分を構築する要素としてどのように活用するか」が、もちろん他者や関係、他者性に対する尊重は押さえつつも、本人にとってはむしろ大事というか。

昔、やそらは言葉を丁寧に紡ぎ上げて、それをあたかも鎧のように着込んで行くように見える時期があって、あれはなんだかそこまで防御固めなくても…!と少し心配になった」というようなことを言われたことがあります。

当時のぼくには防御力が必要だったのでしょう。
この言葉を以前にもふりかえって、記述したことがあって、その時はたしか鎧のように着込まなくても、お守りのようにしたり思い出すだけでこころがあったまるような言葉をたくさん貰ってるし、ワクワクしてくる言葉を知っているんだというようなことを書いたと記憶しています。

「関係」や「現象学」、「ナラティヴ」の考えに触れていく中で、「自分を多声的な存在として、しかもその声は好きな人や大事な人とかそういう他者の声を服のように自由に着脱するような気持ちで生きればいいんじゃん!」などとここ数日考えがまとまっていきました。

修論の執筆を通じて感じた研究や執筆というモノローグな実践が内包している限界性を乗り超えていくための具体的な実践方法のひとつの候補として、今後もう少し緻密に考えていきたいなこれ。

一回りしか歳の違わない甥っ子とのドライブもとても楽しかったです。こちらが覚えていないようなことを「してもらった側の立場」から、こっちは覚えているよ〜!と言われたり、父の意向もあって一族郎党総出で出かけるとか何かするみたいなことをすることが多い一家なのですが、そのために甥っ子の中では「やっぱりいろいろ一緒に行ったりやったりしてきているから叔父ー甥ってんじゃなくて、家族のように感じる。すごく優秀なのも知ってるけど、博士〜!って感じで持ち上げられるのすごく嫌がりそうだから、やっぱりやっくんはやっくんだなって思ってる」云々

甥っ子に「家族のように思ってる」というようなことを言われてそれこそ胸があったかくなるような感覚がありました。一族郎党で何かとやりたがる父のお陰でもあるのかな〜と、現在沖縄にいるらしい父に感謝の念を送りました。

「この旅は終わらない」と書いてからMr. Childrenの終わりなき旅をよく聴いています。

「誰の真似もすんな 君は君でいい」
というフレーズが、ロールモデルばかり求めがちだった自分には今はとみに響きます。
「君は君でいい」と言ってくれる他者をいまのぼくは必要としているのだろうな〜。関係に生きるって、ぼくにとってはそういうこと。いまは目一杯、櫻井さんに励まして貰えばいいや。

今日から福島県相馬市に遊びに行ってきます!

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