精神保健医療福祉分野で「当事者」と名乗ることに伴う危険性、その背後にある歴史性・政治性③

今日は給与振込のための口座開設手続きをやっとできた。と思ったら一緒にやろうと思っていた家賃引落の手続きをど忘れしてしまった、無念…。なんだかんだ10月1日の入職日まで、新生活の自分なりの秩序つくりにあくせくしそう。

今夜はこの後急遽、中学時代お世話になった先生で現在福島県の白河市の公立中学校に赴任している方に会いに行くことに。会うのは5年以上ぶりだろうか…。

なんか土産用意しないと…と思いつつ、咄嗟に準備できたのがイタリア視察のスケジュール表と製本した修士論文のみ…。重すぎる贈与の一撃。

けど「いま自分が福島に居る理由」を説明する上でこんなに適したアイテムもないか…とも思う。土産話を提供するスタイルに徹しようと思う。

当事者論の続きを書けるだけ書いておきたい。

極端な話、ぼくは自立生活運動と出会えていなかったら生き延びられなかったのではないかと思う。それくらい自立生活運動を展開する「当事者」たちや障害学との出会いや彼らの生き様はぼくに大きな影響を与えた。

「当事者として言いたいことは言ってもいいんだ」と思えるようになったし、『生の技法』における立岩真也の論稿に触れて、「人が社会や周囲に迷惑をかけながら生きること」について捉え返す機会をもらえた。

だいぶ省略してしまうが、女性運動やフェミニズムとの出会いでは、「個人的なことは政治的なこと」という視座や考え方の枠組みを得ることができたと個人的には思っています。田中美津の『いのちの女たちへ』はぼくにとって大切な本の一冊であり続けています。

『当事者主権』という本は、そんな自立生活運動と女性運動が(適切な表現かわかりませんが)結託して、それまで当事者運動の中で使われてきていた「当事者」概念を極めて闘争的な概念として発信した本だと言えると思います。その後上野千鶴子は、ニーズ中心でかつ当事者を主体とした福祉社会学を「当事者」概念と絡めて考察した本を出していたかと思います。

自分は修論で、「当事者という存在は社会という総体における関係や相互作用を通して、『生きづらさ』が極限化した時に『関係規定的存在』として立ち上がる」と説明しているが、『当事者主権』の流れに見る企ては、そのような立ち上がった当事者の展開してきた実践を、まさに当事者運動を更に推進させていくために概念化・理論化したものだったと言える。そして、そのような企ての下広まった自己主張のできる自立したともすればネオリベとの親和性の高い「当事者」概念/像がさまざまな業界で弊害も同時に起こしているし、「専門家」の方でも好き勝手「当事者」概念をこねくり回しているような気がする。

「精神病」者運動における論客の一人であった大野萌子は、『精神障害者の主張』という本の中で、全国「精神病」者集団の「組織性格は『精神病』者に加えられてきた(加えられる)差別と闘い、社会排外を許さず『精神病』者の人権の復権を目指すことにある」と語っていた。

イタリア帰りで「人として」とか「人権感覚」のようなものに敏感になっていたぼくは歓喜した。自分の「人として」とか「人権感覚」とは少しズレるかもしれないけど、日本にも「人権復権」を掲げた当事者運動は存在していたのだと。

「当事者」という存在がまずあって、その存在を通じてあるいは像(イメージ)も多少流布するかもしれないけど、何より、現実の「当事者という存在」をベースに理論化および概念化がされて、さらに像(イメージ)やその概念や像を体現する当事者が存在ベースで広まっていく。

セルフヘルプグループ論はアルコホーリクス・アノニマスの当事者という存在をベースに理論化されてきた経緯がある。あの団体は戦略的に「社会資源」となる道を選んでいたのだけど、そのような存在(依存症当事者)をベースにセルフヘルプグループ概念や像が広まってしまったのがダメだと思う(過度な一般化?というか)。AA関連の本を読んで思ったけど、あの当事者組織は「社会資源としてのセルフヘルプグループ」として見た時、マジで最強の当事者活動なんだなと。

『当事者主権』も自立生活運動や女性運動で培われてきた「当事者という存在」をベースにしてたのに、それが過度な一般化として広まってしまったのがややこしくなっている大きな一因だと思っている。

だいぶ煩雑だけど時間もないしまとめていこう。

僭越ながら…ぼく自身、「生きづらさ」の極限化に際して、関係規定的にそれこそ自立生活運動の庇護下でたくさんの人たちに見守られながら「当事者」として立ち上がった人間の一人だと思っています。

ぼくが「当事者」と名乗る時、そこには、上記のような含意がまずあって、次に自立生活運動や女性運動に薫陶を受けて生き延びることができた「当事者」という実感と意味もあって、「精神病」者運動が念頭に置いている「人権の復権」という問題意識を自分なりに共有する「当事者」であるという宣言をも意味していると、現段階では整理しておきたいと思います。

そんな「当事者意識」を持つ「研究者」・「支援者」として今後は活動していきたいと思います。

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