虚構の奴隷と自己欺瞞 同じ質問への対処法 家族や国家を捨てるのと国家の定義 謝罪と処世術
1、虚構の奴隷と自己欺瞞
自己欺瞞という言葉を思い出したので、昨日の投稿の追加。
昨日、書いた、元銀行員は虚構の奴隷である。
自分の都合で父の権利を侵害する腐った性根の自分と向き合いたくない「元銀行員」は、「父親を大事にする自分」という設定の虚構で生きているから、虚構を捨てると「父親を大事にする自分」も捨ててしまうから捨てられなくて、暴言老人の父親を切り捨てられなくなる。
この元銀行員は、父親に精神支配されている。
まず父親の精神支配から脱出する事を推奨する。
虚構の奴隷になっている。
虚構の奴隷になるのを罪の奴隷というのだろう。
多くの人が虚構の奴隷になっているから、同じように虚構の奴隷の候補者に投票するのだろう。
自己欺瞞という言葉がある。
自分で自分を騙す事である。
自分で自分を洗脳している。
自己欺瞞には、いい理由と本当の理由がある。
いい理由は、父親を大事にしている自分。
本当の理由は、暴言老人の父親が自分の邪魔だから世間から隠したい。
父親を大事にしているという設定で、父親の「取材を受ける権利」を踏みにじって権利侵害する。大事にしている人の権利を侵害する。
虚構の奴隷になっている人は、真実を知らない。
真実を知らないから、罪を犯していて、罪の奴隷になっている。
神の信者は、神を知り、神を信じる者だけが真理を知り、自由になり、虚構の奴隷にならないし、罪の奴隷にもならない。
金持ちは天国へ入るのが難しい。
貨幣もゴールドも共同幻想だから、金持ちは幻想に支配される虚構の奴隷だから天国へ入れない。
自己欺瞞をしている人は、同じように自己欺瞞をしている人を見ると美しく見えるのだろうか。
大勢の人が投票するのは、その大勢の人たちが同じように自己欺瞞をしているからかもしれない。
しかし、自己欺瞞をしている人は、やっぱり同じように自己欺瞞をしている人に対して、癇に障るところがあるから仲違いをする。
結局、悪人同士では一時的に仲良くなれても、やっぱり仲違いする。
悪人同士の馴れ合いは長続きしない。
根本的に悪いのは、自己欺瞞をしている大衆の方である。
元銀行員を批判している人は、結構、手心を加えている。
心理学的に自己欺瞞をしていると教えないからだ。
似た者同士なのか、単にジックリと潰して旨味を引き出すのか。
急所を突いて一気に潰すと美味しくないからだ。
擁護する人は、自分の自己欺瞞を否定されたくないから擁護しているのか。
擁護するなら、責任を持って、毎日一緒に居て死ぬまで世話をしろ。
散々、増長させておいて、手に負えなくなると逃げて他人に押し付ける。
擁護している人たちは、この元銀行員の支持者を騙し取りたいからだろうけど、変な客になるから止めておいた方がいいと思う。
票を集める道具として利用するつもりなのだろう。
こういうのは金の切れ目は縁の切れ目になるから、票を集められなくなったら切り捨てられるため、断った方がいい。自分のためにならない。
まあ、テレビタレントみたいに、居なくても困らないのに、数値化されないから、いつまでも居座り続ける芸人にも似た結果になる。
本人はそれを狙っているのかもしれないけど。
市長とか知事だと自分の実績が直接的に出てしまうけど、何百人もいる議員の内の一人になれば、自分の実績がバレない。
銀だと本当に実績と人気があるのかどうか判り辛いところがある。
自己欺瞞をしているとカルトやマルチの雰囲気が出るから、そういうカルトやマルチの雰囲気を見て一気に冷める人が出る。
こういう自己欺瞞になっている人々に対して、ちょっと親しそうな振りをして味方の振りをすると、裏切られたと思ったら凄まじい敵対をしてくるから、騙すのは止めた方がいい。
変な人間をファンにすると破滅するタレントみたいになる。
自己欺瞞になっている人に必要なのは、聞き心地の良い甘い言葉ではなく、立ち直るための厳しい言葉である。
精神病になっている人に必要なのは、酒や麻薬で誤魔化すのではなく、キチンと精神病院で治す事である。もしくは、精神修行とか、道徳教育とか。
精神病患者を騙して、自分の政治利権の踏み台にするのは悪い。
元銀行員の支持者をキッズとか言ってバカにしているけど、実際は精神病とか、自己欺瞞の人格障害とハッキリと言ってやるべきである。
多分、自己欺瞞になっている人は、同じように自己欺瞞に陥っている人たちを、自己欺瞞と批判する事ができないのだろう。
元銀行員が危険という人は存在するけど、俺はそうだとは思うけど、それ以上に支持者の方が、自己欺瞞で危険になっていると思う。
本人の危険性よりも、支持者たちの自己欺瞞の方が何万倍も危険である。
俺の自分自身の悪心も含めて、人々の悪心が諸悪の根源なのである。
元銀行員も支持者も両方とも自己欺瞞をやめた方がいい。
自己欺瞞は人生を破滅させる。
虚像を拝む者は虚像と同じになる。
言う事も聞く事も出来なくなる。
虚像の奴隷になっている人は、話しても何も話せていない。聞いても何も聞けていない。考えても何も考えられていない。
この元銀行員が議会を敵視するのは、敵を間違えている。
根本的に悪いのは、自己欺瞞をしている有権者である。
だから、そういう自己欺瞞の大衆の性根を直す生き方をする必要がある。
元銀行員の本人は自己欺瞞で認知が歪んでいるから、本当の敵を見分ける事ができない。
まず、自分自身の自己欺瞞から直す必要がある。
今までの政治は、こういう大衆の自己欺瞞を刺激するような票集めをしていなかったから、ネットで選挙活動をしなかった。
この元銀行員は、そういうタブーを犯して、大衆の自己欺瞞を煽って票集めをする。
こういう自己欺瞞を煽る票集めは、暴走して破滅するから危険である。
こういう大衆は、自分の人生が苦しいから、破壊してリセットしたいだけである。
権力を与えるのはサタンだから、こういう選挙活動で、どういう風にサタン側が得票数を不自然ではないように操作するのか。
元銀行員に関しては、国家や政治の次元の問題ではなくて、宗教・哲学・道徳・精神病・親子関係の次元の問題である。
それを次元の違う国家や政治で代償行為をするから、グダグダになる。
2、同じ質問への対処法
昨日の「嫌がらせで同じ質問をする人への対処法」で書いた事の補足。
上司が居ないなら、父親の帰還命令で帰らせる。
上司も父親もいないなら、国家の大臣とか外交官の大使の帰還命令で帰らせる。
3、家族や国家を捨てるのと国家の定義
聖書で家族や畑を捨てろとは書いてある。
友人や上司を捨てろとは書いていない。
むしろ、友人は大切にしろと聖書は全般的に書いてある。
ダビデとヨナタンの友情物語のように、友情は尊いものだと描写される。
畑を捨てろとは、国家も含めているかもしれない。
神の国のために家を捨てろと書いてあるから、「神の国」に対比して「人の国」を捨てろという意味かもしれない。
家とは、家系とか、そういうものも含める。
家系とは、社会や国があってのモノである。
だから、家を捨てろとは、家系や社会や家名や国家を捨てろという意味になるかもしれない。
俺の主観だから、自分で聖書を読んで解釈してほしい。
家名を捨てるとは、世間体を捨てる事だ。
世を愛してはならないと聖書に書いてある。
「人間の国」というのは、結構、形が変わる。
どこぞの宗教団体が戦国時代に山を私物化して、武装化して牛耳っていたりするから、これを国と見なすかどうか難しいところである。
都市国家とかは、農業ができていないけど、国家として認めるかどうか。
商業国家とは、戦国時代の堺とかがそうだけど、国家だろうか。
「人間の国家」の定義と実際の形は、かなりアヤフヤだから、聖書でも厳密に「人間の国を捨てろ」とは書かなかったのだろう。
妻を捨てるように言っているから、女に対して求めている行動ではない。
男は家族を捨てろとは書いてあるけど、女に家族を捨てろとは書いていない。
聖書で性別を指定していない場合は、大抵は男に関して言っている。
ただ、もしかしたら、女にも関係しているかもしれない。
俺は男だから、女の性別を指定されていない事柄に関して、女が守るべきかどうかは言えない。女が自分で読んで自分で解釈するしかない。
元銀行員に対して父親を捨てろと言えないから、グダグダになる。
諸悪の根源は、父親に精神的に支配されているからだ。だから、父親を捨てさせれば色々と解決する。
家族主義に洗脳されている人たちでは、父親を捨てろと言えないから、グダグダな的外れな物言いでズレた屁理屈になる。
4、謝罪と処世術
処世術がヘタなら、処世術をしない方がマシである。
処世術が上手でも、処世術をしない方がマシである。
聖書でも世を相手はならないと書いてある。
世間に迎合する処世術を使ってはならないと解釈できる。
前に処世術がヘタなら使わない方がいいと言って、まるで上手ければ使った方がいいみたいな感じに受け取られかねないから、撤回する。
申し訳ありませんでした。
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