依存の怖さ
私が住む県内で自分が産んだ赤ちゃんを殺して埋めてしまった、という事件が報じられています。
この女性は過去にも同じことをしているとのことなのですが、その動機が「交際相手が子供を望まなかったから」というもののようです。
この動機を聞いた時「そんなバカな」と感じる方が多数だと思うのですが、一方でこの動機を理解出来る、という方も居ます。
自分が産んだ子供よりも交際相手を優先してしまう。
私がカウンセリングを行なっている方の中にも、殺されなかったまでも同じ理由から育児放棄をされていた方は居ますし、自分が実際に育児放棄をしてしまっている、という方も居ます。
そこには「依存」があり、その依存が親から子へ、子から孫へ、と続いてしまっていることも多くあります。
本来であれば我が子を愛し大切にするはずなのですが、こういった方は自分が「愛されたい」という想いの方が強く、そうしてくれる相手を何よりも誰よりも優先してしまいます。
相手から嫌われないために、相手から見放されないために相手の言うがままになってしまう。
いつでも呼び出しがあれば応じる、そこで子供を置き去りにすることを何とも思わない、むしろ邪魔とさえ思ってしまう方も居ます。
必要であればお金を渡し、相手が嫌がるからという理由で避妊具の非装着に応じてセックスをしてしまう。
その結果が望まない妊娠となり、それを誰にも相談出来ないまま日々が過ぎてしまい、結果として上記のような事件を起こすまでに至ってしまう。
恋愛依存やセックス依存はその元に愛着障がいがあると言われていますが、いずれにしてもそういった方は幼少時に、自分自身も親から愛情をもらえなかったことがその原因として挙げられます。
自分は愛されていると思いたい、相手からどんなに粗末に扱われたとしても、また自分がそういう扱いをされていると自覚していたとしても、それでも自分が「必要とされている」と感じることで自分の存在意義を感じようとしてしまう。
これが依存の怖さです。
相手にとってはまさに「都合が良い」対象であり、性欲のはけ口として利用されていることに気付いている方も居れば、気付いていない方も居るのですが、例え気付いていてもそこから離れることが出来ず、同じことを繰り返してしまい、やがて相手が離れていくことになるのですが「やっぱり私が悪かったの?」と自己否定を深めてしまうのも、こういった方の特徴です。
こういう方は誰に対しても「NO」を言うことが出来ず、とりあえず相手の言うことを聞いてしまいがちです。
「自分を大切にする」ということが分かっていないために、本来の「相手を大切にする」思いやりというのも分かっていません。
相手の言うことを何でも聞くことが「思いやり」であると勘違いしてしまっていて、それに逆らうことは「相手から嫌われる」から出来ないんですね。
結果としてそれは自らを傷付けてしまっているし、相手のためにもなっていないということに気付けないまま、同じことを繰り返しがちです。
恋愛がうまく行かない、という方は自分の中にこの「依存」がないか、疑ってみるべきです。
そして本当の意味での「愛情」とはどういうものなのか、自らに問いかけ、改めて学ぶことが必要でしょう。
このような気付きがやがて、こんな事件や虐待を無くしていくことにつながっていきます。
「愛されたいと思うなら、まず愛しなさい」と言われますがその前に、本当の意味での愛情を学び、知ってください。