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ポケモン

 私は小学生で初めてポケモンを買ってもらって以来、かれこれ10年以上、ポケモンに莫大な時間を費やしきた。他のことになるとはっきりと言い切れない私だが、ポケモンだけは大好きだと言い切れる。それほどポケモンのことが大好きであった。

小学生の頃は放課後になればDSを持って友人と近くの公園に集合し、公園の遊具そっちのけで対戦や交換をして遊んだものである。

 親からすれば「公園に行ってまでわざわざゲームしなくてもいいじゃない」「大体ただモンスターが出てくるだけじゃない」「そもそも弱らせて無理やり捕まえるなんてちょっと野蛮じゃない」ないないない、恋じゃないといった感じであろうが、当時の私はそんなただモンスターが出てくるだけの、見方によっては少しばかり野蛮なゲームを、わざわざ公園に集まって夢中で遊んでいたのである。

 ポケモン、とひとくちに言ってもポケモンのゲームソフトは何種類もあり、それぞれで出現するポケモンや冒険できるフィールドが異なり、全種類のゲームソフトを揃えたくなるような工夫がなされているのだが、これをまた親はわかってくれない。一つだけ買えばいいじゃないと言って理解してくれない。そもそもこちらの話を聞こうともしてくれない。ないないない、愛じゃないといった感じである。でも止まらない。

そんなポケモンブームも、中学生頃から陰りを見せ始める。私の周りでポケモンをしている友人が極端に少なくなってしまったのだ。友人はみんなどんどん他のゲームに浮気していった。しかも、未だにポケモンをしている私をガキっぽいだの幼稚だのとからかってくる。我等永遠ポケモン大好き同盟也と誓った日々はなんだったのか。小学生の頃のように友達と通信や交換ができないような状況でも私は1人でポケモンを続けていた。それほどポケモンというものは奥が深いゲームであった。

 そんな私にもポケモンを休まざるを得ない時がやってきた。そう、受験である。捕まえたポケモンの数で合否が決まるのであれば間違いなく首席合格、いわゆるポケモンマスターだったが、現実の世界はそう甘くなく、しばらくは勉強に時間を費やさなければならなくなった。 ポケモンにさよならバイバイする日が来るなんて、と私は悲しい気持ちだった。
 
 だが、人間というのは不思議なもので、どんなに夢中になっていた事でも一度やめてしまうと途端に興味を無くしてしまう。バカにされてまでやっていたポケモンはいつの間にか頭の隅に追いやられてしまっていた。

それから月日が経ち、スマートフォンアプリのPokémon GOが配信された。現実にポケモンが現れたような楽しさで一躍世間でPokémon GO旋風が巻き起こり、かつての同盟仲間もポケモンに復帰してきた。これをきっかけに自分の中のポケモン愛も再燃し、再びポケモンに多くの時間を費やすようになっていった。

ポケモン愛が再燃してから随分経つが、未だにポケモンへのやる気が衰えることはなく、隙あらばポケモンに手を伸ばしている。かれこれ10年以上ポケモンにお世話になっているが、未だに新ポケモンが発見されるのはすごいなぁと感じている。私が老人になる頃には一体何体のポケモンが見つかるのかとても楽しみだ。


#ポケモンへの愛を語る

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