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「おはよう、ロンドン!」~マズウェル・ヒルで暮らした一年間~

今から軽く20年は昔のこと、ギリギリ20代だった私は、学生としてイギリスで暮らし始めた。

最初の3週間はロンドン南部の友人宅に居候していたが、北部の語学学校近くに部屋を借りるつもりでいろいろと探していた。

インターネットはあったけれど、今みたいに普及もしていなくて、情報源は日本語の無料情報誌、英語の情報誌、日本食料品店などに貼られた「部屋貸します」のクラシファイド広告くらい。

(日本人は部屋をきれいに使うから、などという理由で好んでいた大家さんも多かったという)

その日本語情報誌に掲載されていた部屋を見に行くことにしたが、わりとあっさり決めたように記憶している。

場所はMuswell Hill(マズウェル・ヒル)。
近くに地下鉄の駅はなく、バスでたどり着いたその街からは、ロンドン市街地が広く見渡せた。
それに気づいたとき、数十秒はおそらく口を開きっぱなしで、アホみたいにその景色に吸い込まれていたに違いない。

余談だが、この街はあのThe Kinks(キンクス)のお膝元。

(上)『およげ!たいやきくん』ではありません。

ロンドン中心部からは少し離れていたが、語学学校へはバス一本で行けた。
家賃は週60ポンド。当時のレートが1ポンド250円だったので、週15,000円ほどの計算になる。それが1カ月分なら65,000円くらい。
その前は川崎市のアパートに家賃6万円で住んでいたので、意外と高いかもと思ったけれど、家賃には電気代、水道代、ガス代が含まれていたので、まあいっか、と。

部屋

(上)私の住んでいたマズウェル・ヒルの部屋

テレビがなかったので大家さんに「テレビなーい?」と無邪気に聞いてみたら、どこかから持ってきてくれたので、優雅なテレビライフを送らせてもらえた。
しかもTeletextつき。いわゆる文字放送。
(本当は受信料的なものを年間ン万円支払わないと、テレビは見られないんだが)

言い忘れていたが、大家さんはギリシャ系キプロス人移民。初老の夫婦と娘が一緒に暮らしていた。

ランドレディ(大家の奥さん)は料理好きで、ことあるごとに「これ食べなーい?」とギリシャ料理を持ってきてくれた。
ナスのグラタンみたいなムサカくらいは渡英前にも口にしたことがあったけど、その他にもブルグル(小麦を割ったもの)のサラダだとか、人生初体験のものばかりだった。
大体どれにもミントが使われていた記憶。

掃除と手入れの行き届いた家は居心地がよく、前庭にはラベンダー。
大家さんはギリシャ系だけど、ここはイギリスなのだ。

マズウェル・ヒルという街は、いわゆる高級住宅街。
だけどこじんまりしていて、気取ったところがあまり感じられない場所だった。
たとえばノッティングヒルとかハムステッドみたいなところだと、田舎育ちの私は圧倒されてしまう。
かわいい雑貨屋さんも多いし、オシャレなカフェもたくさんあった。
外国人貧乏学生の身としては、家でお茶を入れて飲むのが最高のぜいたくだったけど。

そこから少し足を延ばすと、アレクサンドラ・パレスという大きなイベント会場があり、自然がいっぱいの大きな公園や、パブも隣接していた。
お気に入りの散歩コースだったのだが、そこからロンドン市街地を見下ろすのが何よりも好きだった。
個人的な感想だが、ロンドンの街が一番よく見えるのはここじゃないかと思う(全体的に、という意味で)。
毎朝ここから「おはよう、ロンドン!」と叫んだら、全市民に届きそうなくらい。

閑話休題。
住んでいた家には他にももう一人店子がいて、私より3歳下の日本人女性。
イギリスの音楽が大好き!ということで、われわれは意気投合。
その翌年彼女が帰国するまで、連れだってライブなどに行きまくったものだ。

年が明け、その彼女が帰国して、新しい店子が入り(また日本人女性だったけど)、つつがなく日々を過ごしていたが、ある日ランドロード(大家さん)が体調を崩してしまった。

「心臓を悪くしてしまい、店子を置いておくことがストレスフルになるから、申し訳ないが出て行ってほしい」

まだ学校は数ヵ月残っていたので、慌てて部屋を探し始めた。
早速学校の近くに見つけたのだが、ドタキャンを食らってしまった。
困って相談したところ、同じマズウェル・ヒルですぐ近くに住んでいたランドレディのお兄さんも部屋を貸しているというので、そこにお世話になることにした。

そのころ妹がロンドンに遊びに来る予定だったので、最悪のタイミングだった。
というのも、あてがわれた部屋は物置だったから。

「2週間したら今いる人が出て行くから、それまでは週40ポンドでここにいていいよ」

いいよ、って言われたって、2月の寒い時期、太陽光は入らないし、電子レンジしか調理器具がないから、お湯を沸かすのもそれ。
大体「物置」なんだから、ベッドと机の端っこ以外はほこりをかぶった荷物ばかり。

暗い部屋で、私は毎日泣いていた。

当たり前だけどテレビはないし、ラジカセだけが頼り。
そのころManic Street Preachers(マニックス)のこの曲がよくラジオで流れていて、それがますます私を泣かせたのだった。

You stole the sun from my heart.

私の心から太陽を盗んだのはお前じゃ!

「お前」って誰じゃ!

わーんわーん…

そのうち妹がやってきて、その部屋を見て微妙な表情をしていた。
電子レンジで妹のために食事を用意して、大柄な女2人がほこり臭いダブルベッドに寄り添って寝るの図。
だけど、妹がいてくれたおかげで、泣かずに済んだのはよかった。

もともと二人でイタリアに2泊3日の旅行に行く予定だったので、行って、遊んで、楽しんで、帰ってきたら、もう部屋を移る時期になっていた。
日当たりのいい、無駄にだだっ広い部屋は快適で、妹にももっと早くここに来てもらいたかったな、と思った。

その後、ロンドン南部の学校に行くためにビザを延長することを決め、9月の入学に合わせてもう少し南の方に引っ越すべく、マズウェル・ヒルの家を出た。

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2014年、観光客としてイギリスに来た私は、十数年ぶりにマズウェル・ヒルを訪れた。
教会を改造したようなパブも、行きつけのスーパーも健在。
当然店の入れ替わりはあっただろうけど、あのときの空気がまだ漂っていたように思えた。

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かなり疲れていたけど、アレクサンドラ・パレスまで行ってみた。

変わんないなあ…当たり前だけど。
ここにニュー・オーダーのカウントダウンライブを見に行ったのに、会場がいくつかに分かれていて、部屋を間違えて見損ねたんだったな…チッ。

曇っていたけれど、ロンドンの街にあいさつをしてきた。

「ただいま、ロンドン!」

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天気のせいでよく見えなくて、自分がどっちの方向を向いているのかさっぱりわからなかったけど。

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その9年前、初めてロンドンに来たときの「おはよう」物語は↓こちら↓

さらに遡って、東京の真ん中に居を構える妄想をした話は↓こちら↓


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Mocotska モコーツカ
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