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五十(+α)にして天命を知る
五十にして天命を知る
人間は、五〇歳ごろになると、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる、ということ。
自分の人生が何のためにあるか。
たぶん、自分が何物でもないということを受け入れて、ただ働き、食べて、平和に寝て暮らすことのためにあるのだと思う。
「これで私は一生食べていくんだ」と信じていた仕事を、昨年末で辞めた。
その力がないことに気づいてしまったから。
「やりたい」と思っていたことがいつしか「やらなければならないこと」になり、それで苦しむようになっていたと、私は気づいていなかった。
病院のベッドで3カ月暮らし、私は「やらなければならないこと」をひとつ、手放す決心をした。
好きな仕事だと信じてやってきたけれど、結局はその仕事を通して、自分という人間を実際よりよく見せたかっただけなのだったのかもしれない。
私には特別な能力はない。
健康でもない。
だけど、文字の読み書きや、パソコンの操作はできる。
選り好みさえしなければ、何をしていったって食べてはいけると思う。
大好きなマンガで「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を学んだ。
年齢を重ねて、「どうしても克服できない欠点がある」ことを受け入れることが重要になってくるというようなくだりだった。
「できないことを受け入れる」
「できないことはできない」と受け入れて、できることをやっていこう。
そう思った、3カ月の入院生活だった。
今日はカレーライスを作った。
これは私が「できること」。
自分で言うのもおこがましいが、私が作る、市販のルーを使ったカレーがこの世でいちばんおいしいカレーだと思っている。
すべてが自分好みの味だから。
ひとつひとつ、できることをやって、できたうれしさを積み上げて生きていこう。
私は何物でもないのだから。
3カ月ぶりのおうちカレー。お代わりをしてしまい、胃もたれに苦しんでいる私であった。
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