折り合いの付け方
本日紹介したいのは気楽に読める新書である。タイトルは「しないこと」リストのすすめ 人生を豊かにする引き算の発想 ポプラ社 辻信一
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おおよそ書いてある事は想像がついた。中年ともなれば体力の限界もやってくるし、いやでも取捨選択をしなければならぬ。おそらくそのような在職者への手引き、子育てや介護に忙殺される方の世代向けであろうと。
そんななかで「野心や出世を捨てて時間と仲良くするための」「しないことリスト」を作ろう、という本である。
ここですでにビジネスパーソンは落伍する。いきなり世俗の富にさよなら、真の豊かさへGO、である。なら、最後まで読んだ社畜の私は何なのか。
単純に老化と仕事で時間が取れずto Do リストをあきらめる年代である。ほら、読者層、ビンゴ!
とはいってもまだ枯れきっているわけではない。どうにもこうにも自分を納得させるきっかけは欲しいではないか。やりたいことに追いつかぬ日々、自分を責めたりツールを変えたり。
語り口は平易、ときに退屈なくらい人懐っこい。育ちの良い筆者を想像する。また、本筋うんぬんよりもいくつかちりばめられている言葉の方が私には重要だった。
折り合いは、もとは「居り合い」と書いたそうだ。またあきらめるとは、語源が「明らかにする」と言う意味があると言う。
また、しないことリストは自他ともに明らかに認めて、何かを手放すことなのである(つまり、それはお願いだからあなたはそれを手放さないで、と言われるものを持つべき人間であると言うことなのだろうか。逆に評価されない事物をリストに入れないことで自分の欠点を知るということでもあろう)。
しないことリスト作成により心身は冴え渡り、熟考ができ、やるべきことではなくてやりたいことに集中できると言う大筋なのだ。
生命を・暮らしを維持するために、われわれはやらなければならないことがある。冷静に考えればそれだけだって大層なことで、さらに私たちはベースをアップさせるために、やりたいことよりもやらなければいけないことのキャリアアップやスケールアップを望む。
何かをすると言う事は、何かに依存することだと筆者は表している。またユダヤ教を言及した書物から引用し、サバト(休息日)の過ごし方も示している。
それはつまり、モノやお金に依存することなく自分が自分を管理する時間を手に入れると言うことだ。
人生も後半になってくると諸々余裕がなくなってきて本音が出てくる。もちろんそこには今まで注力できなかった公共福祉的な理想や、我慢してきたやりたかったことなどがごちゃごちゃになっている。
苦手だけれどやらざるを得ないことに力を注ぎすぎたり、不得意である故に時間ばかり減ったりする日常を振り返ってみると結局全てがまぜこぜになって終わってしまいそうだ。
確かにしないことリストは必要だと思える。
しないことリストはhuman being である(するのはんたいは、居る)ので、結果的にはあるがままの自分を見つめると言うことである。
いつのまに(明確には本書にある)わたしたちはdoingが好もしいと、価値があると(それは経済競争ゆえに)human beingではなくdoingだったのだと言われたらその通りだ。
仕事においてはdoingがbeingまでの過渡期にあり、またステイし続けること自体がdoingなのでプライベートにおいては、
「できず、たりず、特別な存在ではない自分」が何をしないことで穏やかにしあわせにいられるのかを周りにも自分にも認めさせる、実はキャリアを積むより難しい話なのである。
それはつまりできない分を誰かに委ねるということで、自分含め管理されたり、また委ねる相手を信用したりする心の準備も必要である。
誠に手放すことも、しないことも、持つこともなす事も全てに完成形はない。