【小説】二人、江戸を翔ける! 7話目:荒覇馬儀⑤
■あらすじ
ある朝出会ったのをきっかけに、茶髪の少女・凛を助けることになった隻眼の浪人・藤兵衛。そして、どういう流れか凛は藤兵衛の助手かつ上役になってしまう。今回は、ある謎の組織が絡むお話です。
■この話の主要人物
ひさ子:藤兵衛とは古い知り合いのミステリアスな美女。
お梅婆さん:『よろづや・いろは』の女主人。色々な商売をしているやり手の婆さん。
主水:北町奉行所の与力。お梅婆さんの知り合い。
■本文
前の呼び出しから数日後、藤兵衛は再びお梅婆さんに呼び出された。今回は、凛も一緒である。
「どういう話だろうね? 藤兵衛さん」
「・・・面倒な話なのは、確かだろうな」
凛には前もってあらましを伝えていたが、詳細は藤兵衛も知らなかったので上手く答えられなかった。二人揃って部屋に入ると既に先客がおり、藤兵衛たちには背を向けて座っていた。
「お、来たね、お二人さん。・・・主水、彼らが以前話した『強力な助っ人』だよ」
すると先客が振り向き、こちらを見る。
「あ、あれ? もしかして・・・」
先客の男性は驚いた表情をするが、それは凛も同じだった。
「あ、お役人さん、ですよね? 以前に迷子の一件でお世話になった」
「やはり、そうでしたか。いや~、どこかで見たことある顔だな、と思ったんですよ」
二人は早々に挨拶を交わすが、藤兵衛は思い出せないようだった。
「藤兵衛さん。ほら、おせんちゃんの時にお世話になったお役人さんよ。藤兵衛さんが船頭に棒をぶつけたのを上手くとりなしてくれたでしょ」
(※第三話参照)
ここまで言われたところで、藤兵衛もやっと思い出す。
「ああ! あの時の! その節は、どうもお世話になりました」
「いやいや、大した事はしていませんよ。それに、お手柄でしたし。
・・・お二人は正直特徴がある方たちでしたから、すぐに思い出しましたよ」
笑いながら答える主水を見て、凛と藤兵衛はすぐさま好感を抱いた。
「なんだい。あんたたち皆、顔見知りかい。最近、こういうのが多いね」
お梅婆さんは呆れた表情を浮かべ、煙管を長火鉢に置く。
「まあいいや。藤兵衛に凛、こいつは中川主水。北町奉行所に勤める与力衆の一人さ」
これを聞いて二人は驚いてしまった。
それもそのはず、『与力』とは町人からすると雲の上の存在なのであった。
大江戸八百八町の行政や司法を司る機関である町奉行所は、南町奉行所と北町奉行所に別れて一月毎に窓口を交代している。その人員構成は与力二十五人に同心が百人ちょっとであり、少人数で江戸全体をカバーしている彼らは、町人にとって憧れの存在であった。
その中でも与力は同心の上役で馬に乗る事も許された身分でもあり、まさに仰ぎ見る存在であった。
「いや、与力と言っても大したことは出来ませんから。お梅さんが『強力な助っ人』と評しているあなたがたの方がよっぼど優秀だと思いますよ。今回は、どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする主水に釣られ、凛と藤兵衛もお辞儀を返す。主水は身分差を気にせず、あくまで対等な立場で接する。
「で、俺たちは具体的に何をやるんですか?」
藤兵衛の問いかけにお梅婆さんはすぐには答えず、誰もいないはずの方角に目を向ける。
「その話をする前に、ひさ子。まずはあんたの調べた結果を聞こうじゃないか?」
凛と主水がお梅婆さんの目線を追って振り向くと、いつの間に入ってきたのかひさ子が立っていた。
「え、え・・・? ひさ子さん? いつの間に?」
「・・・!!!」
全く気配を感じなかった二人は、驚きを隠さなかった。
「時間はかかりましたが、大方の様相がつかめましたわ。・・・役者も揃ったようですし、報告しますね」
ひさ子は藤兵衛たちを一瞥し、お梅婆さんの隣に座る。多少やつれたように見えたが、それがまた一段と妖しい美しさを醸し出していた。
「・・・・・」
ここでふと自分への目線に気付いたひさ子は、主水に目を向け、にこりと笑いかける。その後、自分の調べた結果を簡潔に語り始めた。
「まず、上野に屋敷を構えたのは主人が太右衛門という男で、補佐をしているのが吉佐という元同心です。・・・お二人さんはこの名前に聞き覚えがあるでしょ?」
「えぇ!?」
藤兵衛は不確定な要素もあったので凛にはこの部分は伝えていなかった。そのためか、初めて聞いた凛は驚いて藤兵衛とひさ子を交互に見る。
「あの時太右衛門は捕まったのだけれど、吉佐の手引きで番所から脱走したようよ。で、今は上野で『何出茂屋』という店を開いているわ。屋号の通り色んな商品を扱っているけど、本丸は阿片の密売、つまり以前と変わらないことしているって訳ね。以前の顧客と繋がりが切れていなかったせいか、阿片の方はすぐに軌道に乗っているわ」
ここで一度話を切り、喉が渇いていたのか茶を一口すする。
「また、あいつか・・・」
一方、主水は話を聞いて苦虫を噛み潰したような顔でボソリと呟いていた。
「前と違うのは、彼らに黒幕がついていることね。元々は阿片の仕入れ先っていう関係だったけど、正体は宗教団体みたいね。太古の神を呼び戻し、この不浄の世の中を清らかにするってのが教義らしいけど、ホントのところはわからないわ。調べでわかったのは、阿片をどこかで作っていること。そして、その阿片を使って信者を増やしていることね」
「そ、その阿片を使ってというのは、どういうことなのでしょう?」
ここで主水が身を乗り出してひさ子に詰め寄った。若干、距離が近い気がする。
「ご存じの通り、阿片には中毒性があります。そして、この阿片に更に特殊な薬を混ぜているようですの」
「特殊な薬、ですか?」
「ええ。人の精神を壊し、言いなりにする薬です。ほんの少しだけ入れることで、ゆっくりゆっくりと精神を壊していく・・・ こうしておいて、お題目の教義を耳元で囁けば立派な信者の出来上がり、というからくりですわ」
「な・・・ なんという、卑劣な真似を! しかし、よくここまで調べてくださった。さすが、お梅さんが信を置く『超』強力な助っ人だ!」
主水は感嘆しながら、ひさ子の手をさりげなく握る。もはや、主水の視界には藤兵衛たちは入っていないかのようだった。
「・・・で、その宗教団体の名前はわかったのかい?」
すると、ひさ子は主水の手をやんわりと離し、一瞬藤兵衛をちらと見た。
「はい。『荒覇馬儀』ですわ。お梅様」
この言葉に藤兵衛はピクリと感じるものがあった。
(荒覇馬儀・・・? どこかで聞いたような・・・)
ずっと昔に聞いた事があるような気がしたが、頭の中に黒い靄のようなものがかかって上手く思い出せなかった。
「そうすると、今回の目標はその黒幕を抑えるまで、かい? 主水」
惚けていた主水は、お梅婆さんに問われはっとする。
「え、ええ、そうですね。まずは阿片の密売拠点を潰すのが第一です。次いでそのあらはばば? とかいう宗教団体の尻尾を掴むことが出来れば尚よし、でしょうか」
混乱してるのか、それとも別なことに気を取られていたのか、舌が上手く回っていなかった。
「・・・大丈夫かい、主水? なんだか不安だねえ」
主水の様子がいつもと違うことに気付いたお梅婆さんだったが、さして気にもかけず藤兵衛たちに目を向けた。
「藤兵衛に凛、まあそういうことさ。ちぃと厄介そうだが、あんたたちなら何とかなるだろ。・・・それと、ご苦労だったね、ひさ子。主水の言う通りあんたじゃなかったら、この短期間でここまでわからなかったろうさ」
偉大な先輩に褒められたせいか、ひさ子はどこか嬉しそうであった。一方、いつもはうるさい凛が黙り込んでいたのが、お梅婆さんは気になっていた。
「凛、どうした? 今日はずいぶん静かじゃないか」
凛は初めためらっていたが、やがて口を開いた。
「いえ、あの・・・ 番所から逃げ出したって、そんなに簡単に出来ることなのかなって」
「・・・・・・」
吉佐と太右衛門は凛の父親の仇である。あっさりと脱走できたことに不満を感じているのかもしれない、と藤兵衛は察した。
「それについては申し訳ない、としか言いようがないです」
答えたのは、主水であった。
「我々、奉行所に勤めている人間も、すべてが善人という訳ではないのです。調査の結果、賄賂をもらって脱走の手引きをした者がいたことがわかり、既に身柄を確保しています。今、取り調べを進めていますが、この者には厳しい罰が与えられる予定です」
「・・・それは、本当ですか?」
「そこは信用してください、と言うしかありません。・・・言い訳にはなりますが、奉行所の中は前よりは大分マシになったのですよ」
「凛、あんたの気持ちもわかるが、この主水の気持ちも汲んでやってくれないかい? こいつは、腐りかけた組織の中でも真面目にやってきたんだ。あんたが奉行所に対して良い印象を抱いていないのは知っているけど、良い方向に向かっている途中だと考えてくれないかい?」
主水に続き、お梅さんもフォローを入れてきた。凛としても、別段追求するつもりなどなかった。
「あ、そういうつもりで言ったつもりじゃないんです。ただ、なんとなく気持ちが落ち着かなかっただけで・・・でも、そうですよね! 逃げ出したんなら、また捕まえてぼっこぼこにしてやればいいだけですもんね!」
「・・・・・・(汗)」
笑顔で凛は答えるが、本当にやりかねないので藤兵衛は笑えなかった。
「それじゃあ話が落ち着いたようだね。後はあんた達で話を詰めといてくれるかい?」
そう言うと、お梅婆さんは次の用事が入っているのか部屋を立ち去っていった。
つづく
↓この話の第一話です。