繊月の街
子どもの頃、
「いつか東京に住むかもしれない」
と思っていたことを最近ふと思い出した。
noteで記事を書くようになってからのことだ。
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就職で上阪し、結婚を機に上京した。
気付けば四半世紀以上をこちらで暮らしている。
上京後、最初に住んだのは会社の寮。
トレンディードラマのオシャレなマンションとはほど遠い、昭和感溢れる古い建物の一室に、新生活の夢は詰め込まれた。
3階の窓からは大きな川が望めたが、週末になるとバーベキューの民が押し寄せる。ある日は「憤激リポート」の現場にもなった。
これが都会の醍醐味というものだろうか、そんな喧騒も嫌ではなかった。
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上京して最初に感じたのは、流行や発信のすぐ近くにいるという感覚。
雑誌で見たものにすぐ手が届く。
テレビで観たレストランにすぐに行ける。
ロケや撮影にも遭遇する。
インターネットが普及していないあの頃は今以上の特権だったように思う。
時刻表を見ない生活になった。あらゆる場所まで乗り入れる鉄道網は、どこにだって待たずに連れて行ってくれる。
代官山、自由が丘、銀座、六本木‥。
行ってみたかった街に片っ端から行った。服や雑貨を買い込んだ。
こんなことなら何も持たずに上京するべきだったと何度も後悔した。
ドラマの中のような標準語の世界も新鮮に映った。
知り合いや友だちもでき、私も徐々に標準語を話すようになった。
「そのまま関西弁を使えばいいじゃん!」
という人もいるが、いえいえ、標準語と関西弁では異国語ぐらいの温度差がある(と私は思っている)。
標準語はさらさらと流れるような低湿ドライ。対して関西弁はひと言ずつに熱とインパクトがある。
温度差を埋めるのがとても難しいと感じてしまうのだ。
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場所によって人の雰囲気が違う。
それぞれが″個″のこだわりを隠し持っている。
人のテリトリーに安易に踏み込んだりしない。
暗黙の了解上に一定の距離感がある。
街によって様相が違う。
自分の嗜好で居場所が選べる。
他人と濃密に関わりたいと思う人にとっては寂しさを感じるかもしれないが、教育熱心な都会で子育てをする中で、私はこのドライさに救われた。
何を着ようが、どう住もうが
「どうぞご自由に 」と委ねられている。
首都には繊月(三日月よりも細い繊細な月)のような魅力がある。
26年暮らしていてもまだ、その片鱗にしか触れていないような気がする。
まだ見ぬ片影を見てみたくて、まだこの辺りの街に住んでいたいと思っている。