「真面目」が駄目な事と思って悪ぶってみた結果
18で機能不全家庭を出てから
必死で
自活していると
同世代や
少し上の世代の方に
『真面目過ぎる』と言われていたので
「自分の欠点」と捉えてしまった。
人の顔色を伺う
私は
『真面目』が
いけないことなんだと変換されました。
周りでは
ほとんどの人が煙草を吸っていたので、
私も『真面目』過ぎてはいけないので
喫煙をした。
見かけだけでも、私に『真面目過ぎる』と言った人たちと合わせていたら
その人たちみたいに
キラキラ楽しそうな人になれると思った。
あまり
興味のないファッションスタイルをして。
流された。
「凄い」と言われている人を真似ようとした。
私は自分が変な親に育てられ、
不登校で学校も行ってないし
「変」というコンプレックスを持っていたから
「浮く」のが嫌だった。
だから必死に適応しようとした。
その頃交流していた人たちは
名前すら思い出せない。
相当
無理していたから
ふと集中力が切れて
素でいる時
「怒ってるの!?」とよく聞かれた。
「自然体でいる」というのが
どういうことかわからなかった。
適応するために必死だった。
1人の時と
他人の前の自分が違い過ぎた日々
どんどん
自分がなんなのか
分からなくなって
分離されたような感覚だった。
結婚
私以外の家族が
思い描いていた
理想の
家庭にすら適応できなかった。
適応できなくても
私のこの存在は消えないから。
それでも
生き抜いてやろうという感じだ。
いまは
適応する場所がどこかにあるだろう、
なけるば作るわと逞しい。
浮いてもいいや。
まだまだ地球人
いてるから
気の合う人だけでよいわ。
求められたいという承認欲求もある
認められたい、求められたい、
あるのが当たり前の世界だったから
もう悪と思わなくてよいことがわかった。
気があってても
離れていくこともあるし。
また近づくこともあるし。
って理解していたら
もう一喜一憂しなくてよかった。
風のように
かろやかに過ごしたいですね。
もう「こうじゃないといけない」って
いうのは捨てようと思う今日このごろ。
さすらう
真面目な
モクテルハヤシでした。
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