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曽野綾子『誰にも死ぬという任務がある』「カジノの転機」

この世で信じていいのは、死だけなのだ
1984年から87年にかけて、中曽根内閣の下に臨時教育審議会が開かれていた時、委員の一人だった私は五十代の前半であった。若くもないが、うんと年寄りでもなく人生の中ほどにさしかかっていた。
私の近視は生来の者であった。子どもの頃から分厚い眼鏡をかけていた。大人になるにつれ、眼鏡をかけても充分な視力が出ないので、私は対人関係において恐ろしく小心になった。誰と会っても、相手の顔を覚えられないから、人中に出るのは恐怖の時間だった。それが四十九歳と十一ヵ月の時に受けた眼の手術によって、私は突然いい視力を得て、眼鏡なしで暮らせる人間になったのである。
もちろんこれは劇的な幸運であった。私の周囲の世界は一変して明るく鮮明になった。私はその変化に有頂天になってもいいはずだったのに、私の心はあまりの環境の激変について行けず、一時は食欲を失い、軽い鬱病になった。

環境の激変は

たとえそれが幸運なことであっても

鬱の原因となるのだ。

すべての者があまりに鮮明に見えるので、私にとって外界の刺激は強くなり過ぎ、心理的に疲れてしまったのだろう。
私がようやく平静な心理を取り戻し、後半生に贈られた贅沢として、形も色彩も鮮明の色濃くなった世界を充分に味わうようにしようと、思った時、不思議なことに私に最も強く迫ったのは死の概念であった。


つまり、
この世が、
その前に与えられた貴重な時間だと自覚したからこそ、
瞬間ごとの光景が今までにないほど重い意味を持ちながら、
輝いて見えるようになったのである。

生きているということを

心から実感することは

やがて確かに来る

死を実感することである。

生と死は同じ感覚の中にある。

教育は、
まだ経験しないできごとに対して
「備える」
ということを目的とする。
眼が見える生活が落ち着いたころ、私は教育審議会の委員になった。
教育制度を整えることは一応大切だが、人間が自分を教育するのに必要なものは、制度ではなく一人だけの毎日の闘いだ、という不遜な思いが強いのである。
自分を伸ばす方法は、
ほとんど外界に関係なく、
抜け駆けして自分で教育材料を見つけることだ、
と思っていた。
つまり、
外界がまともなものでもそれを信じず、
外界がまともでないならその時こそ
自分を自分で好きなように成形するチャンスだ
というふうに受け取っていたのである。

教育制度をどのように整備したところで

自分で自分を教育する意志がなければ

何も変わらないということだ。

それでも

教育の環境を整備することは必要であると思う。

悪いより良くなる方がいいからだ。

しかし、この臨教審の審理中に、
私が立った一項目だけ、
数回にわたって提言したことがある。
それは死に関する教育を、
ぜひとも義務教育中に行うことであった。
私流の表現でいえば、
世の中のことは、
すべて期待を裏切られるものである。
しかし死だけは、
誰にも確実に、
一回ずつ、
公平にやって来る。
実にこの世で信じていいのは、
死だけなのである。
しかし結果的に言うと、
私の提言は取り上げられなかった。

委員の誰一人として
死について教える必要性を
感じていなかったのである。

その当時は

現在ほど死について正面から考える人がいなかったのだ。

何となく避けてしまいたいという日本人の風土があった。

多くの災害などで無残に多くの人が死ぬことがあったから

死を正面から受け止めるという考えの文化が育たなかっただろうか。

死を考えずに生きている日本人

多くの人たちが日常生活でほとんど死を考えない、ということがかねがね私には不思議でたまらなかった。

お葬式に行くと、告別式場で帰りに挨拶状を渡されるのだが、その中には小さな塩の袋が入っている。
「食べられません」と書いていあるもの不思議だった。
あれは果たして塩なのだろうか。

家に帰りついたら、肩のあたりにはらはらとその袋の中身を振りかけてから自宅の玄関を入る。
するとそれで非情の死は清められてしまい、死という怪物も我が家に入り込めなくなる、という発想で死の概念を遠ざけているのであろう。
そのようにして、死を考えないで生きることが日本人はうまかった。
しかし外国人は、というより、私がよく知っているキリスト教徒たちは決してそうではなかった。

彼らは死を生のゴールと考えている。

むしろ悩みも苦しみも多い現世の役目を終えて、善人は神の元へ召されて永年の安息の中に生きるその節目だと考えていた。
私はカトリック教徒としていい信者ではなく、信仰生活では劣等生だと感じている。
口先で卑下してみせているのではなく、本当にそう実感しているのだ。
劣等生の私なのだが、今までに数回、もしかすると、私のような者でも、神は覚えていてお使いになるのかと思ったことがある。
私は1972年から、おかしな経緯(つまり崇高でないきっかけ)で韓国のハンセン病患者たちの村の経済的な支援をするようになった。
そして1983年、私は自分が書こうとしている新聞小説のために、アフリカのマダガスカルに行くことになった。
マダガスカルの僻地で助産婦として働いているシスターの仕事を学ぶためであった。

取材の最後の日にホテルの最上階のカジノを見ておくこととなった。

エレベーターに乗りながら

私は「もし儲かったら、あの貧しいシスターたちの産院に上げなきゃね」と呟いた。
ほとんど言葉の上でも空約束である。
私は博打で儲けることなどあるわけないという確信さえ持っていたので、その日たった二回だけルーレットをやった。

そしてその二回共当てたのである。
ともかくそれがきっかけとなって、改めて私は途上国で生涯かけて働く日本人の神父と修道女を支援するNGOを作ることになった。
私は神との約束を破らなかった。

曽野綾子さんは、神との約束を守り自分の役割を果たしてきたのだ。

人間の死の時、神仏がいるかいないかは、実に大きな要素なのだ。

たとえばそういうことを一度も考えずに老年を迎えることは
ある意味で無残だ、
と私は思うのである。

死の際において

自分の中に神仏があると

それを頼りにすることで

すこしは不安から逃れることもできるだろう。


そして生から死の世界への関係を知っておくことは

死ぬ時には

大いに助けとなるのだ。


死においての希望が見えると

死は安らかなものとなるように思う。


希望を持って

死ぬことができるのは

しあわせなのだ。

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