曽野綾子『心に迫るパウロの言葉』冷酷とは
曾野綾子は
「世の中で本当の困るのは冷酷な人ではなく、
自分でも親切な人だと思っている人だという。
親切な人は、相手の望まないようなことまでしようとするという。
そして
他人の生き方を道徳的に規制する。
しかも善意でもって。
これが人を一番困らせることであるという。
善意からのことに対しては
キッパリと拒否することができにくいからだという。」
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イエスは聖書で
自分の望まないことを人にしてはいけないと言っている
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パウロは「生活の基本的原理である愛」について
「誰に対しても悪に対して悪を返さず、
すべての人の前で良いことを行うよう心がけなさい。
できることなら、
あなた方の力の及ぶ限り、
すべての人と平和に暮らしなさい。
愛する皆さん、
自分で復讐せず、
神の怒りに任せなさい。
『主は言われる。
“復讐はわたしのすること、わたしが仕返しをする”』
と書かれているからです」
(ローマ12・17~19)
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聖書の中で
復讐は神がすることで
人間がすることではないと
書かれていたことに驚き
そして
自分の感情の高ぶりを
どうにか
鎮めることができることができた。
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つまり
自分で相手に対して復讐をすることなく
神に委ねなさい、ということだ。
自分が相手に復讐したからといって
事態が改善できるとは限らず
むしろ
どうにもならなくなるだろう。
そこで
神に復讐を任せることで
自分の心を落ち着かせるとともに
自分自身は罪から免れることができる
という仕組みとなる。
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ハンムラビ法典の「目には目を歯に歯を」というものから
より人間として理性的に対処するほうが
復讐の負の連鎖から
解放されることとなる。
これが未だにうまく機能できていないことから
世界では
多くの紛争が続いている。
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さらにパウロの言葉には
「『敵が飢えているなら食べさせよ、
渇いているなら飲ませよ。
そのようにすることで、
あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである』
悪に負けてはなりません。
むしろ
善をもって悪に勝ちなさい」
(ローマ12・20~21)
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この実行が不可能である場合においても
冷酷であれば
簡単にできるというのだ。
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問題の解決の最善策となるのは
間違いない。
冷酷とは
冷たいことではなく
理性的に
論理的に
物事に対処するということだ。
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冷酷という表現よりも
理性的という表現の方が
理解できる。
感情の愛ではなく
理性の愛なら
実践することができそうだ。