エリザベス・キューブラー・ロス『「死ぬ瞬間」と死後の生』「生、死、死後の生」死ぬときはひとりではない
肉体の機能が停止した後、痛みがなくなって、私どもが霊的身体と呼ぶ、まったく欠けたところのない完全な身体を獲得して身体的完全感をおぼえますが、
それだけでなく、
死ぬときは
ひとりでないことも知ります。
どうして死ぬときにひとりではないのか、
それには三つ理由があります。
ゆっくりと死んでゆく患者たちは
ーガンの子どもたちもそうですがー
死にさきだって、
自分の肉体から離れることができることに気づきます。
いわゆる「肉体離脱」体験です。
私たちはある種の睡眠状態にあるときには、
肉体離脱を経験しているのですが、
それをはっきりと意識している人はほんのわずかです。
そうした体外浮遊体験の最中に、
末期患者たちは、
自分を助け、導いてくれる存在が
自分の周りにいることに気づきます。
これが死ぬときはひとりではないという第一の理由です。
幼い子どもたちはそういう存在をよく「遊び友だち」と呼びます。
キリスト教では守護天使と呼んできましたし、
多くの研究者は守護霊と呼んでいます。
何と呼ぼうと、大したことではありません。
大切なのは、
私たちはそれを生まれたときから、知っているということです。
初めて呼吸したときから、
肉体存在が終わってあちら側に移行するまでずっと、
それらの守護霊あるいは守護天使は私たちのそばにいます。
そして死から死後の生の移行するときには、
私たちに手を貸してくれるのです。
死ぬときはひとりではないという二つ目の理由は、
かならず、先に死んだ人、
それも私たちが愛していた人、
たとえば何十年も前に亡くした子どもとか、
祖母とか父とか母とか、
そのほか私たちの人生において大事だった人たちが、
出迎えてくれるからです。
死ぬときにひとりではない、と私が言う第三の理由は、
死にさきだって、
たとえ一時的にせよ、
肉体を脱ぎ捨てると
私たちは時間も空間もない場所に入ります。
そこでは、
思考と同じスピードで、
どこでも好きなところに行けます。
ヴェトナムで死んだ若い男性が
シカゴにいる母親のことを考えれば、
その思考と同じ速さで
シカゴまで飛んで行けます。
死ぬ時には一人ではないという理由が三つあるといいます。
・・・
一つ目は
生まれた時から私たちのそばにずっといる
守護霊が
死ぬ時にもそばにいてくれて、
死から死後の生の移行の手助けをしてくれるというのです。
一人ではありません。
・・・
二つ目は
すでに亡くなっている自分を愛してくれた人が
かならず
死ぬ時に迎えに来てくれるというのです。
一人ではありません。
・・・
三つ目は
死ぬ前に
一時的にでも肉体離脱が起こると
その時には思考と同じスピードで
好きなところへ行くことができるから
一人ではないということです。
瞬時に会いたい人のところへ行くことができます。
どこにいても一人ではありません。
・・・
どんな死を迎えても
決して一人ではないということは
大きな助けとなり救いとなります。
そう考えると
愛を持って生きるということは
いつでも
どこにいても
決して一人ではない
ということができます。
どんな時も
一人ぼっちにはならないのです。
救われます。
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