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22歳のぼくと94歳のひいおばあちゃん

今週の始めに曽祖母が亡くなった。享年九十四歳だった。

ぼくが子どもの頃、曽祖母は藤沢で曽祖父と二人暮らしをしていて、お盆の時期はお墓参りで顔を合わせ、美術関係の仕事をする大叔母の個展へ一緒に行ったり、湘南方面に遊びへ行った時には家へ寄ってお茶をしたりもした。

曽祖父が亡くなってからは、しばらく一人暮らしをしていたが、認知症を発症し、平塚に住む大叔母の家へ引っ越した。その後は特別養護老人ホームへ入居し、今に至る。

ぼくが小さい頃は頻繁に会っていたが、中高生の頃からあまり会うこともなくなっていった。きちんと会話をした最後の記憶は数年前、認知症を発症してから大叔母の家に引っ越した時だ。

その時も曽祖母はぼくのことをひ孫とは認識できていなかったと思う。けれど、大叔母さんが「(ぼく)くんが来てくれたよ。」と言うと、曽祖母は「(ぼく)くん?来てくれてありがとうね。大好きよ。」と言ってくれた。

昔から人に感謝と愛をきちんと伝える人だったのをよく覚えている。

曽祖母は手芸が得意だった。セーターを編んだり、マットの刺繍をしたり、木製家具の模様を彫ったりしていた。ぼくの部屋の小さめのタンスや、配膳で使うお盆なんかは曽祖母が作ったものを今も使っている。

そんな曽祖母も亡くなる二日前に会った時には、食事もとれず、話すことも、目を開けることでさえできていなかった。

はつらつとして、笑顔が素敵だったあの人も、最期にはこうなってしまうのかと悲しくなった。

曽祖母の遺品はほとんど残っていない。大叔母の家に引っ越す際、そのほとんどを処分されてしまっていた。曽祖母の作った手芸品のうち、ぼくをはじめ親族が貰ったもの何点かのみと、何着かの着替えしか残らなかった。

曽祖母が生きた証はこんなにも少ないものなのだろうかと少し考えた。少し考えて、なにも物質的にでなくとも生きた証は残るのだろうと気が付いた。

彼女がいたから祖父がいる。彼女がいたから母がいる。彼女がいたからぼくがいる。曽祖母が亡くなった後も彼女の生きた証は今もこの世で生きている。

血縁者でなくとも、きっと彼女は誰かの生活に何らかの影響を与え、今もその営みはどこかで連綿と受け継がれ、続いているのではないだろうか。きっとそれも曽祖母の生きた証だ。

ぼくの生きた証も、ぼくが最期を迎えたあと、ひっそりとで構わないから残ってくれていると良いなと思った。

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