読書記録_ハンチバック

『ハンチバック』
市川沙央著
文藝春秋

 文章に込められた、あまりのエネルギーの密度に圧倒された。読み終えてしばらく、感想を書かなければと思いながら、一体何を書けるだろうとも思った。わたしはあまりにも無知だ。

 障碍当事者による健常者主義の社会への恨みつらみがテーマ、と括ってしまうのは簡単だが、もちろんそれだけではない。
 なぜかわからないけれど、世間は障碍のあるひとたちに、清廉潔白であることを期待しがちだ。テレビ番組なんかでは、ほぼ必ず、病と前向きに闘うひと、とされる。大江健三郎の『他人の足』で、その押し付けのグロさが描かれているというのに。『ハンチバック』についてのその手の非難についても、そんな傲慢を感じる。
 
 本を持つことの困難を想像したこともなかった。介助の人手不足を気にしたこともなかった。重い障碍を持つひとの望む「普通」を考えたこともなかった。釈華の望む「普通」に震えが止まらなかった。こんな切望があり得るのか。

〈でもたぶん妊娠と中絶までなら普通にできる。生殖機能に問題はないから〉〈だから妊娠と中絶はしてみたい〉〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉

ハンチバック 


 障害と書くのはよくないから、障碍・障がいと書くようにしようという風潮があるけれど、きっとそんなことどうでもいいのだろう。もっと切実なことがいくらでもある。そもそも、障害/健常の対立項として考えているのが、誤りなのかもしれない。現状では理想論になってしまいそうだ。
 
 

 

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