読書記録_女のいない男たち
『女のいない男たち』
村上春樹著
文春文庫
映画「ドライブ・マイ・カー」を観ていて、村上春樹っぽいなと(前半の性描写の多さと岡田将生演じる高槻が、音さんについて語る時の語り口のあたりが特に)感じたと思ったら、やはり村上春樹の『女のいない男たち』が原作らしい。ということで、読んでみた。
主に、映画の元になっていると思われるのが、同名の短編『ドライブ・マイ・カー』と『シェエラザード』。妻の浮気現場を目撃するのと、旅をして妻を失った苦しみと向き合うあたりは、『木野』も影響してそうだ。
読んでいて、すぐに気がついたのは、原作では映画よりも性描写が少なかったこと。性描写が多いから村上春樹、なんて決めつけてごめんなさいと心の中で謝った。
逆に、高槻の印象的な台詞は、原作そのままで、やっぱりここがいいよね、と思った。高槻は、映画でも原作でも、軽んじられているというか、薄っぺらい人として描かれている。そんな彼が、音さんを理解すること(あるいは理解できないこと)について、自らのことばでしっかり語る。そのギャップの大きさが、音さんへの気持ちの深さを感じさせて、印象的だ。
小説の『ドライブ・マイ・カー』は、映画よりも物語がシンプルで、解釈しやすいというか、考える幅があるというか、余白を感じさせる作品だった。軸は同じだけど全くの別物。映画の理解の補足にはならないと思う。個人的には、要素が多い映画版より小説版が好み。
収録された6篇のうち、『独立器官』と『木野』が好みだった。表題の『女のいない男たち』の「出会うタイミング論」もおもしろかったけれど、似た話の『4月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて』の方がまとまりが良いので。
『独立器官』は、中年男性の初恋の話。人生をうまくこなしてきた中年の医師の初恋相手は、嘘つきの女性だった。失恋した中年男性は、失意のうちに餓死してしまう。最後まで読むと、冒頭の文章の意味がよくわかる。屈託のない人の辿る末路。ほんとうに純粋な人というのは、純粋であることすら知らない、その手前のひとなのかもしれない。
『木野』は浮気現場を目撃してしまい、離婚した男の再出発の話。示唆的な猫や蛇、シャーマンのカミタ、逃避先にまで追いかけてくる来訪者など、長編をぎゅっと圧縮した魅力がある。
会いたいけれど、会いたくない。悲しいけれど、悲しくない。傷ついているけれど、傷ついていない。両儀的な感情を抱くとき、その底にあるほんものの感情から、逃げている面もあるのかもしれない。悲しむべきときに悲しむというのは、むすがしいことだから。