読書記録_木になった亜沙
『木になった亜沙』
今村夏子著
「木になった亜沙」「的になった七未」「ある夜の思い出」の3編。
どのお話もなんとなく少し物悲しい。非現実が現実にじんわりと入り込んでくる。非現実は、登場人物たちの主観によるものかもしれない。そして、淡々とした筆致とシュールな面白さ。『むらさきのスカートの女』と同じ路線で、今村夏子さんらしい作品だと思う。
「木になった亜沙」の亜沙は、絶対に手から食べてもらえず、作ったものも食べてもらえない。「的になった七未」の七未は、絶対に何かを当てられることがない。この2篇は渇望の物語だ。
自分以外の人が、なんてことなくできていることへの渇望。亜沙が木となって、割り箸として使ってもらえたときの感動が身に沁みる。たった一言、「食べた」の段落の安心感。ひとによってそれぞれだろうけれど、何かしらの報われたときの記憶が呼び出される感じがする。
七未もまた、射的の景品扱いされ、自称息子が打つことで、最後には当てられることができた。当たってみんなと同じになりたい、逃げるのを終わりにしてごほうびをもらいたい、という望み。この望みは死を望むことと同じだったのだろうか。もちろん、こどもの頃の「当たりたい」は、みんなのようにおやつをもらった方がいい、逃げるのは疲れるというひらめきによるものだった。けれども、最後には、明らかに死が救済とされている。息子との再会を願っていたのに。
息子とずっと会っていない七未は、息子に見つけてもらわないと誰だかわからない。彼女にとっては、息子に「お母さん」と呼ばれて、文字通り再び会えたことだけで満足だったのか。
「ある夜の思い出」は、ゴロゴロすることに執着した女の子の物語。這いつくばっている人の目線で描かれる街が面白い。この女の子も、ゴロゴロしたい、猫のように暮らしたいとは思っても、猫になりたかったわけではないから、ふつうに真っ当に暮らしていくのだと思う。息子が、猫を飼いたいといったらどうするのだろう。またジャックを思い出すだろうか。